コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

鄭喜沢

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

鄭 喜沢(チョン・ヒテク、朝鮮語: 정희택/鄭喜澤1919年4月8日 - 2000年2月10日)は、大韓民国政治家検察官弁護士。第11代韓国国会議員、第10代監査院長。

本貫延日鄭氏朝鮮語版[1]資産家鄭雲漢は父、第4代国会議員鄭南沢朝鮮語版は兄[2]、1950年の第2代総選挙に出馬した実業家鄭春沢も兄弟である[3]

経歴

[編集]

日本統治時代の慶尚北道高霊郡高霊面出身。1942年に中央大学法学部卒、米国コロンビア大学にて国際法修学、日本高等文官試験司法科合格。1946年以降は司法部監察官、ソウル地方検察庁検事・部長検事、大邱地方検察庁次長検事、釜山地方検察庁次長検事、大邱高等検察庁次長検事、ソウル高等検察庁次長検事、大検察庁朝鮮語版検事、中央捜査局長、連合情報委員会議長、統一主体国民会議運営委員(1972年〜1980年)、第5共和国憲法改正審議委員会委員、国家保衛立法会議法制司法委員長、民主正義党結党発起人、第11代国会議員、第10代監査院長(1982年9月21日〜1984年4月7日)、放送委員会委員長(1984年〜1986年)、言論仲裁委員会委員長(1986年〜1993年)を歴任した[1][4][5]

2000年2月10日に持病によりサムスンソウル病院で死去。享年82[5]

脚注

[編集]
  1. ^ a b 정희택 - 디지털고령문화대전”. goryeong.grandculture.net. 2024年3月10日閲覧。
  2. ^ 정남택 - 디지털고령문화대전”. goryeong.grandculture.net. 2024年3月10日閲覧。
  3. ^ 정춘택 - 디지털고령문화대전”. goryeong.grandculture.net. 2024年3月10日閲覧。
  4. ^ 대한민국헌정회”. rokps.or.kr. 2024年3月10日閲覧。
  5. ^ a b 정희택 전 감사원장 별세” (朝鮮語). 부산일보 (2000年2月11日). 2024年3月10日閲覧。