鄭喜沢
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鄭 喜沢(チョン・ヒテク、朝鮮語: 정희택/鄭喜澤、1919年4月8日 - 2000年2月10日)は、大韓民国の政治家、検察官、弁護士。第11代韓国国会議員、第10代監査院長。
本貫は延日鄭氏[1]。資産家の鄭雲漢は父、第4代国会議員の鄭南沢は兄[2]、1950年の第2代総選挙に出馬した実業家の鄭春沢も兄弟である[3]。
経歴
[編集]日本統治時代の慶尚北道高霊郡高霊面出身。1942年に中央大学法学部卒、米国コロンビア大学にて国際法修学、日本高等文官試験司法科合格。1946年以降は司法部監察官、ソウル地方検察庁検事・部長検事、大邱地方検察庁次長検事、釜山地方検察庁次長検事、大邱高等検察庁次長検事、ソウル高等検察庁次長検事、大検察庁検事、中央捜査局長、連合情報委員会議長、統一主体国民会議運営委員(1972年〜1980年)、第5共和国憲法改正審議委員会委員、国家保衛立法会議法制司法委員長、民主正義党結党発起人、第11代国会議員、第10代監査院長(1982年9月21日〜1984年4月7日)、放送委員会委員長(1984年〜1986年)、言論仲裁委員会委員長(1986年〜1993年)を歴任した[1][4][5]。
2000年2月10日に持病によりサムスンソウル病院で死去。享年82[5]。
脚注
[編集]- ^ a b “정희택 - 디지털고령문화대전”. goryeong.grandculture.net. 2024年3月10日閲覧。
- ^ “정남택 - 디지털고령문화대전”. goryeong.grandculture.net. 2024年3月10日閲覧。
- ^ “정춘택 - 디지털고령문화대전”. goryeong.grandculture.net. 2024年3月10日閲覧。
- ^ “대한민국헌정회”. rokps.or.kr. 2024年3月10日閲覧。
- ^ a b “정희택 전 감사원장 별세” (朝鮮語). 부산일보 (2000年2月11日). 2024年3月10日閲覧。