鄭幹鎔
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鄭 幹鎔(チョン・ガニョン、朝鮮語: 정간용、1922年5月9日 - 2003年8月30日)は、日本統治時代の朝鮮の独立運動家、大韓民国の教員、実業家、政治家。第7・8代韓国国会議員。本貫は慶州鄭氏。カトリック教徒[1]。
経歴
[編集]日本統治時代の全羅南道莞島郡出身。莞島郡薬山初等学校、平安中学校(京都)、日本大学法科卒。上海臨時政府宣撫団参加。全羅南道光州西中学校・莞島中学校教員、莞島郡水産高等学校・長興高等学校校監を務めた後に政界入り、民主共和党結党メンバー・大統領選挙対策委員長・莞島地区党事務局長・全南地区組織部長・宣伝部長、韓国水産技術協会会長、三光物産重役などを務めた[1][2]。また、1968年12月11日より第11代大韓バドミントン協会会長を務めた[3]。
脚注
[編集]- ^ a b “대한민국헌정회”. www.rokps.or.kr. 2024年9月1日閲覧。
- ^ “근현대인물자료 < 한국 근대 사료 DB”. db.history.go.kr. 2024年9月1日閲覧。
- ^ “::: 대한배드민턴 협회 :::”. www.koreabadminton.org. 2024年9月1日閲覧。