鄭鎮奭
鄭鎭奭 | |
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第13代ソウル大司教、枢機卿 | |
大司教区 | ソウル |
着座 | 1998年4月3日 |
離任 | 2012年 |
聖職 | |
司祭叙階 | 1961年3月18日 |
司教叙階 | 1970年10月3日 |
枢機卿任命 | 2006年3月24日 |
個人情報 | |
出生 |
1931年12月7日 日本統治下朝鮮、京城 |
死去 | 2021年4月27日(89歳没) |
紋章 |
ニコラス鄭鎭奭(英:Nicholas Cheong Jin-Suk、ハングル:정진석、チョン・ジンソク、1931年12月7日 - 2021年4月27日[1])は、大韓民国のローマ・カトリック教会の枢機卿。第13代ソウル教区大司教を務めた。
1970年から1998年までは清州教区の司教を務め、2006年に枢機卿になった。
人物
[編集]京城生まれ。1954年に神学校で神学士号(B.Th)を取得する以前は、ソウル大学校で化学エンジニアリングを学んでいた。香港で社会学を学んだのち、1961年3月18日に当時の大司教、パウロ盧基南によって司祭叙階され、ソウルで司祭を務めた。
1962年には小神学校の教授になり、ソウル大教区法院の公証人になった。
1964年から65年までローマ教皇庁の書記とカトリック会議の次長を務めた。1966年から67年までは司教書記[訳語疑問点]と小神学校の助任司祭[訳語疑問点]を務め、その後ローマで教会法を学び、1968年から1970年まで教皇庁立ウルバノ大学に通った。
1970年6月25日、鄭はローマ教皇パウロ6世によって第2代清州教区司教に選ばれた。10月3日に盧基南大司教、メリノール宣教会司教ジェームズ・パーディ、清州市聖家族教会共同奉献者[訳語疑問点]のペテロ韓玜烈から司教祝聖を受けた。1998年4月3日にはソウル大司教に任命され、同年6月6日、平壌の使徒座管理者[訳語疑問点]を務めた。また、同年には韓国司教会議の議長を務め、韓国カトリック教会のスポークスマンも務めた。
2006年3月24日の教皇枢密会議の際、ベネディクト16世は彼をボッチェアのルルド無原罪の聖母[訳語疑問点]の枢機卿に任命し、翌年5月6日に彼はローマ教皇庁の家庭評議会の最高委員に任命され[2]、2007年2月3日には w:Council of Cardinals for the Study of the Organizational and Economic Problems of the Holy Seeにも任命された。近年は広報評議会の一員にもなった。
脚注
[編集]- ^ 韓国人2人目の枢機卿 鄭鎮ソクさん死去聯合ニュース 2021.04.28 08:24
- ^ Zenit. New Cardinals Get Curial Assignments 2006年5月7日
外部リンク
[編集]先代 金寿煥 |
カトリックソウル大司教区 教区長 1998年 – 2012年 |
次代 廉洙政 |