酒井恒城
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時代 | 戦国時代後期 - 江戸時代初期 |
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生誕 | 不明 |
死没 | 元和2年10月15日(1616年11月23日)[1][2] |
別名 | 七之助[1][2] |
戒名 | 欣未院輝巌浄哲[3] |
墓所 |
京都市上京区称念寺[1] 知恩院塔頭先求院[3] |
官位 | 下総守[1][2] |
主君 | 徳川家康 |
氏族 | 酒井氏 |
父母 | 父:酒井忠親?[1]、忠善?[2] |
兄弟 | 忠次、恒城、西郷清員の妻[注釈 1][2] |
酒井 恒城(さかい つねもと)は、戦国時代の武将。徳川家康の重臣・酒井忠次の異母弟[5]。
略歴
[編集]はじめ僧となっていたが、後に還俗して兄と同じく徳川家康に仕えた。永禄6年(1564年)の三河一向一揆鎮圧で功があったという[1]。後に再度出家し知恩院に住む[要出典]。元和2年(1616年)京都で没した[1]。
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]参考文献
[編集]- 『寛政重修諸家譜』 2巻、高柳光寿(監修)、続群書類従完成会、1964年。ISBN 978-4-7971-0206-2。
- 『寛永諸家系図伝』斎木一馬・林亮勝・橋本政宣(校訂)、八木書店、2014年。ISBN 978-4-8406-3595-0。
- 『系図纂要』 第12冊 上《清和源氏6》、岩沢愿彦(監修)、名著出版、1994年。ISBN 978-4-626-01490-0。
- 野間光辰 編『新修京都叢書』臨川書店、1994年。ISBN 978-4-653-02596-2。