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酒井恒城

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
酒井 恒城
時代 戦国時代後期 - 江戸時代初期
生誕 不明
死没 元和2年10月15日1616年11月23日[1][2]
別名 七之助[1][2]
戒名 欣未院輝巌浄哲[3]
墓所 京都市上京区称念寺[1]
知恩院塔頭先求院[3]
官位 下総守[1][2]
主君 徳川家康
氏族 酒井氏
父母 父:酒井忠親?[1]忠善?[2]
兄弟 忠次恒城西郷清員の妻[注釈 1][2]
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酒井 恒城(さかい つねもと)は、戦国時代の武将。徳川家康の重臣・酒井忠次の異母弟[5]

略歴

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はじめ僧となっていたが、後に還俗して兄と同じく徳川家康に仕えた。永禄6年(1564年)の三河一向一揆鎮圧で功があったという[1]後に再度出家し知恩院に住む[要出典]元和2年(1616年京都で没した[1]

脚注

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注釈

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  1. ^ 忠次・恒城兄弟を酒井忠親の子とする『寛政重修諸家譜』に従えば、他の兄弟に酒井忠善と三女がいる[4]

出典

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  1. ^ a b c d e f g 『寛政重修諸家譜』, p. 47.
  2. ^ a b c d e 『系図纂要』, § 源朝臣姓 庄内.
  3. ^ a b 『京都叢書』, § 雍州府志十 陵墓門 愛宕郡.
  4. ^ 『寛政重修諸家譜』, pp. 43–47.
  5. ^ 『寛永諸家系図伝』, § 清和源氏義家流新田庶流酒井.

参考文献

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  • 寛政重修諸家譜』 2巻、高柳光寿(監修)、続群書類従完成会、1964年。ISBN 978-4-7971-0206-2 
  • 寛永諸家系図伝』斎木一馬・林亮勝橋本政宣(校訂)、八木書店、2014年。ISBN 978-4-8406-3595-0 
  • 系図纂要』 第12冊 上《清和源氏6》、岩沢愿彦(監修)、名著出版、1994年。ISBN 978-4-626-01490-0 
  • 野間光辰 編『新修京都叢書』臨川書店、1994年。ISBN 978-4-653-02596-2