重藤憲文
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重藤 憲文(しげとう のりぶみ、1895年(明治28年)5月3日[1][2] - 1947年(昭和22年)8月9日[1][2])は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。
経歴
[編集]福岡県出身[1][2][3]。熊本陸軍地方幼年学校、中央幼年学校を経て、1916年(大正5年)5月、陸軍士官学校(28期)を卒業[1][2][4]。同年12月、騎兵少尉に任官し騎兵第5連隊付となる[1][4]。1925年(大正14年)8月、騎兵大尉に昇進し、1928年(昭和3年)6月、兵科を憲兵科に転科し憲兵大尉となる[1]。
1929年(昭和4年)4月、鳥取憲兵分隊長に就任し、憲兵司令部員、憲兵司令部付(上海駐在)を務め、1933年(昭和8年)8月、憲兵少佐に進級し東京憲兵隊付となる[1]。1934年(昭和9年)8月、憲兵練習所教官に転じ、その後、憲兵司令部員を務め、1937年(昭和12年)11月、憲兵中佐に進んだ[1]。1938年(昭和13年)12月、名古屋憲兵隊長に就任[1]。
1940年(昭和15年)8月、憲兵大佐に昇進し中支那派遣憲兵隊付に発令され日中戦争に出征[1][2][3]。1942年(昭和17年)5月、南支那派遣憲兵隊長に転じ、1945年(昭和20年)6月、陸軍少将に進級し終戦を迎えた[1][2][3]。
戦後、BC級戦犯容疑で逮捕され、1947年(昭和22年)4月に死刑判決を受け、同年8月、広東監獄で戦病死した[1][注 1]。
親族
[編集]脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ 『日本陸軍将官辞典』363頁、『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』398頁では刑死(法務死)。
出典
[編集]参考文献
[編集]- 秦郁彦編『日本陸海軍総合事典』第2版、東京大学出版会、2005年。
- 福川秀樹『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。
- 外山操編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。