野々市市立布水中学校
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野々市市立布水中学校 | |
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布水中学校前景 | |
北緯36度32分18.437秒 東経136度36分45.28秒 / 北緯36.53845472度 東経136.6125778度座標: 北緯36度32分18.437秒 東経136度36分45.28秒 / 北緯36.53845472度 東経136.6125778度 | |
過去の名称 | 野々市町立布水中学校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 野々市市 |
校訓 |
「向上」「独立」「自律」 「友愛」「公徳」 |
設立年月日 | 1984年4月1日 |
創立記念日 | 7月7日 |
共学・別学 | 男女共学 |
学期 | 3学期制 |
学校コード | C117221200022 |
所在地 | 〒921-8802 |
石川県野々市市押野二丁目100番地 | |
外部リンク | https://cms1.ishikawa-c.ed.jp/fusuij/ |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
野々市市立布水中学校(ののいちしりつふすいちゅうがっこう)は、石川県野々市市押野二丁目にある公立中学校。
概要
[編集]1984年4月、生徒数増加にともない、野々市中学校から分離して開校。 校名の由来は、野々市の別称である布市の「布」に手取川扇状地の豊かな「水」の二字を合わせたもの。校舎横を流れる木呂川(ころがわ)は霊峰白山の水を受け清くさらさらと爽やかに流れ、時として急流と化すたくましさがある。ここに学ぶ生徒は、白布のごとく汚れなく優しく人をいたわり、清流のごとく清らかで、また激流にも耐える心と身体を培い、学び励むことを願い名付けられた[1]。 場所は、上宮寺や瑞泉寺などの中世期寺院創建の地でもあり、校舎正面玄関のあたりの農地は昭和期までオオモン、又はシャカショウジの名で呼ばれていた[2]。
沿革
[編集]- 1984年4月1日 - 野々市中学校の生徒数増加にともない、野々市町立布水中学校が開校
- 1984年5月17日 - 校舎落成。
- 1984年7月7日 - 本校の創立記念日と定め、学校が休みとなる。
- 2011年11月11日 - 野々市市の市制施行に伴い、野々市市立布水中学校に校名変更。[3]
部活動
[編集]運動部
[編集]- 陸上部
- 水泳部
- サッカー部
- ソフトテニス部
- バスケットボール部
- バレーボール部(女子のみ)
- バドミントン部
- 卓球部
- 剣道部
- 柔道部
- 野球部
文化部
[編集]- 科学部
- 美術部
- 茶道部
- 合唱部
- 吹奏楽部
部活動とその実績
[編集]全国大会出場や数多くのプロ選手を輩出している野球部やサッカー部に加えて剣道や空手、バレーボール、テニス、陸上競技、バスケットボールでは石川県内でもトップレベルの実績を挙げている。
運動部の年表
[編集]- 1992年 - 男子バスケットボール部が全国中学校バスケットボール大会にて優勝。
- 2014年 - 男子バスケットボール部が全国中学校バスケットボール大会にて優勝。
- 2015年 - 女子バスケットボール部が全国中学校バスケットボール大会にて準優勝。
- 2022年 - 男子バスケットボール部が全国中学校バスケットボール大会にて準優勝。
主な卒業生
[編集]- 徳野新太郎 - 起業家。ヨシオ工業株式会社 代表取締役社長、社会福祉法人 紫志の会(エンジェル保育園) 理事長など。
- 大野篤史 - バスケットボール指導者
- 大倉颯太- バスケットボール選手、千葉ジェッツふなばし所属
- 森井健太[4] - バスケットボール選手、横浜ビー・コルセアーズ所属
通学区域
[編集]本町1~4丁目、本町6丁目、若松町、横宮町、高橋町、稲荷1~4丁目、堀内1~5丁目、田尻町、三日市町、二日市町、二日市1丁目、徳用町、郷町、蓮花寺町、柳町、長池、押野1~7丁目、押越1~2丁目、野代1~3丁目、御経塚1~5丁目
学校周辺
[編集]- 館野小学校
- バロー押越店
- モスバーガー押越店
- ブック宮丸金沢南店
- セブンイレブン押野店
- 野々市市スポーツセンター
- クスリのアオキ押越店
- ホームラン野々市店
- かわきた整形外科
- ふるさわ内科
- 海天すし押越店
関連項目
[編集]脚注
[編集]- ^ 広報ののいち246号、昭和59年6月
- ^ 野々市町史集落編、平成16年3月、p359
- ^ “概要 - 野々市市立布水中学校”. 2021年6月11日閲覧。
- ^ 「森井選手、横浜移籍 バスケB1 野々市出身」(2020年6月10日付北國新聞朝刊26面)2020年7月5日閲覧