野一色義重
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時代 | 江戸時代前期 |
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生誕 | 不明 |
死没 | 承応3年5月8日(1654年6月12日) |
墓所 | 東京都台東区下谷の善立寺 |
主君 | 松平忠輝→徳川秀忠→家光 |
氏族 | 野一色氏 |
父母 | 父:野一色助義 |
兄弟 |
男子、助重、義重、助忠、助政、 中村一氏養女 |
妻 | 中川弥次右衛門時宗(紀州徳川家家臣)娘 |
子 | 立花種吉室、義忠 |
野一色 義重(のいっしき すけしげ)は、江戸時代前期の旗本。中村一氏の部将・野一色助義(頼母)の三男。
もとは松平忠輝に仕えていた。元和元年5月7日(1615年5月24日))、兄・助重が大坂夏の陣の道明寺の戦いで討死すると、徳川秀忠より父と兄の勲功により近江国蒲生郡内2,000石の旗本として取立てられ、西城書院番を務める。
寛永13年(1636年)6月、一柳直盛の伊予国西条藩に移封の折、城引渡役の任を務める。
承応3年(1654年)、死去。