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野名龍二

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

野名 龍二(のな りゅうじ、1928年12月1日 - 2018年6月1日)は、日本国語教育学者。綴方教育に関する実践を数多く手がけた。

三重県志摩市出身[1]。半農半漁の家の次男として生まれる[2]。1943年、三重師範学校予科入学、敗戦を経て、1948年に卒業[2]。その後、三重県の小学校教員を経て、1951年、大阪市旭区清水小学校に着任[2]栗岡睦の誘いで自由教育思想の影響を受け[2]、1953年、福泉町立福泉小学校大庭寺分校で綴り方教育の実践を始める[1]田宮輝夫と綴方教育の本質や方法をめぐって「野名・田宮論争」と呼ばれる論争を展開した[3]

綴方教育実践に関して多くの著書を残している。

著書

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  • 『かえるの学級 村の二年生』新評論社、1956年
  • 『綴方教育論』有文社、1974年8月 のちにあゆみ出版(1983年7月)

脚注

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  1. ^ a b 児童の思い、ありのまま作文に 大阪の教師、情熱の生涯:朝日新聞デジタル”. 朝日新聞デジタル. 2021年11月14日閲覧。
  2. ^ a b c d 永田和寛「1950年代生活綴方運動における教師と地域社会-野名龍二の実践に着目して-」『京都大学大学院教育学研究科紀要』第63巻、京都大学大学院教育学研究科、2017年3月、229-241頁。 
  3. ^ 菅原稔『戦後作文・綴り方教育史研究 : 「野名・田宮論争」を中心に』全国大学国語教育学会、2008年11月22日。doi:10.20555/jtsjs.115.0_55https://doi.org/10.20555/jtsjs.115.0_552021年11月14日閲覧