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野川秋良

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
野川秋良
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 青森県
生年月日 (1943-10-30) 1943年10月30日(81歳)
騎手情報
所属団体 日本中央競馬会
所属厩舎 東京蛯名武五郎(1969年 - 1970年)
東京・福薗盛吉(1970年 - 1972年)
東京→美浦・浅野武志(1972年 - 1983年)
初免許年 1969年3月1日
免許区分 平地(初期には障害の免許も保持)
騎手引退日 1983年2月12日
重賞勝利 2勝
通算勝利 1007戦68勝
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野川 秋良(のがわ あきら、1943年10月30日 - )は、青森県出身の元騎手

経歴

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1969年3月1日東京蛯名武五郎厩舎からデビューし、同日の東京第2競走4歳未勝利・スイセン(12頭中4着)で初騎乗[1]を果たす。10月12日福島第4競走4歳以上100万下・カイダンジで初勝利[2]を挙げたが、1年目の1969年は1勝[3]に終わった。

2年目の1970年には福薗盛吉厩舎に移籍し、5月30日の東京第8競走障害ステークス・スイノソレイユで障害初勝利[4]を挙げるが、同馬に騎乗した8月22日の中山第3競走4歳以上オープンを最後に勝利[4]10月31日の東京第5競走4歳以上100万下・カタトラオーを最後に2着からも遠ざかる[5]

1970年は3勝をマークするが、3年目の1971年は3着こそ3回あったものの、0勝2着0回の勝率・連対率0割に終わった[3]

1972年には浅野武志厩舎に移籍し、6月11日の東京第1競走アラブ3歳・イシノライトで2年ぶりに連対すると、同馬に騎乗した8月27日の福島第1競走3歳未勝利では2年ぶりの勝利を挙げる[6]

1974年には7月21日新潟第5競走4歳未勝利を9頭中7番人気のミツワリリーで岡部幸雄のハーバーライフにアタマ差勝利し[7]、続く第6競走4歳未勝利ではイシノツキで嶋田功のラウンドシエンにアタマ差勝利[8]して連勝し[9]、初の1日2勝[10]を挙げた。8月の新潟ではハマセイユウでアラブ王冠(秋)を制し自身初の重賞勝利[10]を挙げ、初の2桁勝利となる10勝[3]をマーク。

1975年にはイシノアラシに春の福島戦から騎乗し、こけもも賞(300万下)を5馬身差[11]、しゃくなげ賞(600万下)を2馬身余の差[12]を付けて連勝[13]。イシノアラシでしゃくなげ賞を勝った翌11日も勝利して初の2日連続勝利[10]を挙げ、東京優駿ではロングホークエリモジョージを抑えてカブラヤオーの5着[14]と健闘。

1977年にはタケシバオー産駒トウカンタケシバで愛知杯を制して[15]シルバーランド以来2頭目の連覇[16]1978年4月1日の中山第9競走爽春賞ではイシノマサルを3年半ぶりの勝利[17]に導いた。

1978年は夏の小倉戦で4勝[18]を挙げ、4年ぶりで最後の2桁勝利となる11勝[3]をマーク。

1982年5月29日の東京第3競走4歳未勝利・ホッカンブレスで最後の勝利[19]を挙げ、1983年2月12日の中京第7競走5歳以上400万下・テレサスポート(16頭中10着)を最後に現役を引退[20]

騎手成績

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通算成績 1着 2着 3着 4着以下 出走回数 勝率 連対率
平地 66 74 82 769 991 .067 .141
障害 2 3 3 8 16 .125 .313
68 77 85 777 1007 .068 .144
主な騎乗馬
  • ハマセイユウ(1974年アラブ王冠 (秋))
  • トウカンタケシバ(1977年愛知杯)

脚注

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