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加藤与次兵衛

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
野村行一から転送)

加藤 与次兵衛(與次兵衞、かとう よじへえ、1859年安政6年1月[1][2]) - 1922年大正11年)2月6日[2])は、日本政治家衆議院議員(1期)。福井銀行重役[3]

経歴

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越前国足羽郡(のち福井県足羽郡六条村→足羽村→足羽町、現・福井市)生まれ[1]1882年明治15年)泊園書院に入塾し漢学を学ぶ[4]。今立郡稲荷村外六ヶ村戸長、六条村長、福井県会議員福井銀行取締役となる[2]

1892年第2回衆議院議員総選挙において福井1区から弥生倶楽部所属で立候補して当選する[5]。衆議院議員を1期務め、1894年3月の第3回衆議院議員総選挙は不出馬。同年9月の第4回衆議院議員総選挙では無所属で立候補したが得票数が1票で落選した[6]1898年8月の第6回衆議院議員総選挙では再び無所属で立候補したが落選した[7]。1922年に死去した。

家族

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脚注

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  1. ^ a b 衆議院 編『総選挙衆議院議員略歴 第1回乃至第20回』衆議院事務局、1940年、120頁。NDLJP:1278238 
  2. ^ a b c 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』164頁。
  3. ^ a b c 加藤与次兵衛『人事興信録』第4版 [大正4(1915)年1月]
  4. ^ 『泊園書院に学んだ実業家たち 東畡・南岳叙位祝賀会の発起人に着目して』338頁。
  5. ^ 『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』8頁。
  6. ^ 『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』20頁。
  7. ^ 『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』31頁。
  8. ^ a b 『福井を伝えて一世紀: 福井新聞百年史, 第1巻』福井新聞社, 2000 44ページ
  9. ^ 野村勘左衛門『人事興信録』第8版、昭和3(1928)年
  10. ^ 野村行一『人事興信録』第8版、昭和3(1928)年
  11. ^ 野村行一コトバンク
  12. ^ 皇太子明仁への教育方針瀬畑 源、一橋大学大学院社会学研究科・社会学部博士論文 「象徴天皇制の形成過程―宮内庁とマスメディアの関係を中心に」2010
  13. ^ 旧制松江高校教授であった「加藤恂二郎(恂次郎)」の生没年が知りたいレファレンス協同データベース

参考文献

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  • 『総選挙衆議院議員略歴 第1回乃至第20回』衆議院事務局、1940年。
  • 日本国政調査会編『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』国政出版室、1977年。
  • 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。