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野田智裕

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
野田 智裕
名前
本名 野田 智裕
ラテン文字 Chihiro Noda
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1988-08-17) 1988年8月17日(36歳)
出身地 熊本県合志市
身長 176cm
体重 70kg
選手情報
ポジション FW
利き足 右足
ユース
2001-2004 日本の旗 合志市立合志中学校
2004-2007 日本の旗 熊本県立大津高等学校
2007-2008 日本の旗 帝京大学
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
2010 日本の旗 FC新宿 10 (3)
2011 アルゼンチンの旗 ラス・パルマス 20 (4)
2012 オーストラリアの旗 スワン・ユナイテッド 22 (5)
2013 日本の旗 合志PERNA 12 (8)
2014 フィリピンの旗 MAJ FC 25 (12)
2015 フィリピンの旗 JPヴォルテス 20 (23)
2016 カナダの旗 ミッドアイル・マリナーズ 10 (10)
2017 カナダの旗 トロント・スキルズ 5 (3)
2017 カナダの旗 ロイヤル・トロント 12 (1)
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

野田 智裕(のだ ちひろ、1988年8月17日 - )は、熊本県合志市出身の元サッカー選手。ポジションはフォワード

来歴

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熊本YMCA、KMFC、合志中学校[1]大津高校を経て帝京大学に進学し、サッカー部に所属した[1][2][3]。サッカー部を2年で退部後、FC TORIPLETTAのコーチに転身[4][5]。同時に4年時は東京都社会人サッカーリーグ1部のFC新宿でプレーした[5]

大学卒業後にプロサッカー選手を目指してアルゼンチンコルドバ州に渡り、2011年3月、CAラス・パルマススペイン語版と契約[6]。11月には、インスティトゥートACコルドバに練習参加したが契約に達せずアメリカ合衆国に向かう[5]

アメリカ合衆国、アンティグア・バーブーダでは契約を得られなかったが[1]、4月にオーストラリアWA 1st Division所属のスワン・ユナイテッドFC英語版とセミプロ契約[7][5]。2012年シーズン限りで退団[8]

その後、シンガポールマルタラトビアに渡るも再び契約できず[1][5]。帰国後は地元・熊本県で働きながら、社会人チーム合志PERNAでプレーを続けた[1][5][9]

2014年1月、フィリピンユナイテッド・フットボールリーグ所属のMAJ FC(2015年1月、JP Voltes FCにチーム名を変更)とプロ契約[9]。2015年にはリーグ戦2位、Team Socceroo(1部9位)との昇格プレーオフで5ゴールをあげ、1部昇格に貢献した[10]。また、リーグ得点王(18ゴール)も受賞した[11]。シーズン通算23ゴール[5]

2015年10月合志ペルナに復帰、2016年1月カンボジアに渡るも契約できず、他チームからの話を断り帰国[1]

2016年3月、東京農業大学農友会サッカー部コーチ、FC TOROPLETTAコーチに就任[1]

2016年9月、カナダに渡り、Vancouver Island Soccer League所属のMid-Isle Marinersでプレー[1]

2017年リーグ1オンタリオ英語版 (カナダ3部リーグのセミプロフェッショナルリーグ)に所属するToronto Skillz FCで2試合に出場[12]

2017年6月、カナダサッカーリーグに所属するRoyal Toronto FCへ移籍。

2017年11月、現役引退[13]

引退後徳島ヴォルティス[3][14]ジュビロ磐田[15]で通訳を務めた。

所属クラブ

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個人成績

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  • 2015 United Football League Division 2 Golden Boot[11]

脚注

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  1. ^ a b c d e f g h 野田智裕. “~ Cumplir el sueno ~”. 2024年1月24日閲覧。
  2. ^ 帝京大学サッカー部 (2007年9月1日). “新一年生”. 2024年1月24日閲覧。
  3. ^ a b 【徳島ヴォルティス】速やかな通訳心掛け チームを支える」『徳島新聞』2019年6月15日。2024年1月26日閲覧。
  4. ^ 倉本祐美加 (2020年11月20日). “「いい加減、諦めろよ」と言われても。挫折の連続も、折れない僕に2度の好機が訪れた”. Forbes CAREER. p. 1. 2024年1月24日閲覧。
  5. ^ a b c d e f g 「回していいとも。」JACサッカースクールコーチ編”. J Athletics Canada (2019年1月11日). 2024年1月24日閲覧。
  6. ^ 野田智裕 (2011年3月9日). “LAS PALMAS”. 2024年1月24日閲覧。
  7. ^ 野田智裕 (2012年4月27日). “所属チーム決定!”. 2024年1月24日閲覧。
  8. ^ 2013 Season Preview”. Western Australian Football. 2024年1月24日閲覧。
  9. ^ a b 倉本祐美加 (2020年11月20日). “「いい加減、諦めろよ」と言われても。挫折の連続も、折れない僕に2度の好機が訪れた”. Forbes CAREER. p. 2. 2024年1月24日閲覧。
  10. ^ Aeron Paul Valderrama (2015年8月11日). “JP Voltes bulldozes Team Socceroo; takes claim on top-tier spot”. TIEBRAKER TIMES. 2024年1月24日閲覧。
  11. ^ a b Aeron Paul Valderrama (2015年8月29日). “2015 United Football League Season Awarding Ceremonies”. TIEBRAKER TIMES. 2024年1月24日閲覧。
  12. ^ Chihiro Noda”. リーグ1オンタリオ. 2024年1月24日閲覧。
  13. ^ 野田智裕 (2017年11月6日). “感謝”. 2024年1月24日閲覧。
  14. ^ 徳島、野田智裕氏がトップチームの通訳就任”. ゲキサカ (2019年1月15日). 2024年1月24日閲覧。
  15. ^ 2020シーズン 新体制(スタッフ)”. ジュビロ磐田 (2020年1月11日). 2024年1月24日閲覧。

関連項目

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外部リンク

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