野里住吉神社
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住吉神社 | |
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鳥居 | |
所在地 | 大阪府大阪市西淀川区野里1丁目15-12 |
位置 | 北緯34度42分34.6秒 東経135度27分46.1秒 / 北緯34.709611度 東経135.462806度座標: 北緯34度42分34.6秒 東経135度27分46.1秒 / 北緯34.709611度 東経135.462806度 |
主祭神 |
底筒男命・中筒男命・表筒男命 神功皇后 |
社格等 | 旧村社 |
創建 | 伝永徳2年(1382年) |
別名 | 野里住吉神社 |
例祭 | 夏祭 8月1日 |
主な神事 | 一夜官女祭 2月20日 |
地図 |
野里住吉神社(のざとすみよしじんしゃ)は大阪市西淀川区野里に鎮座する神社。法人名は住吉神社。
祭神
[編集]歴史
[編集]永徳2年(1382年) - 野里川の合戦の際、戦勝祈願に足利義満が勧請したものと伝え、住吉大神宮と呼称されていたが、明治以降は住吉神社に改められている。
- 明治5年(1872年) - 村社に列せられる。
- 明治42年(1909年) - 神饌幣帛料供進社に指定される。
- 昭和40年(1965年) - 社殿改築。その時の出土品から、5~6世紀にはすでに神祠があったものと思われる[1]。
境内
[編集]文化財
[編集]- 『摂津名所図会』に「この里の民家より十二、三ばかりの女子に女裳を改め神供を備ふ。これを野里の一夜官女といふ」とある。風水害と悪疫で「泣き村」と呼ばれた野里は、毎年子女を1月20日丑三ツ時に唐櫃に入れて人身御供とした。これを岩見重太郎が大きな「猅々」を退治して救ったと伝え、村の災厄除けの祭りとして今に伝える。明治40年(1907年)より2月20日に改められた。神饌を入れる桶は元禄15年(1702年)に作成されたもの。三善貞司は「大蛇退治から猅々に変わったのは、明治44年(1911年)刊の加藤玉秀『石見重太郎』(立川文庫)から」と指摘している[2]。