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野間城 (摂津国)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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野間城
大阪府
城郭構造 山城
築城主 野間高頼
指定文化財 なし
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野間城(のまじょう)は、大阪府豊能郡能勢町野間中にあった日本の城山城)。

概要

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仁安3年(1168年)に多田源氏の流れを汲む野間高頼によって築かれたと伝わる。野間氏は、摂津能勢地方において同族の能勢氏余野氏と共に能勢三惣領の一つとされている。

南北朝時代 (日本)の城主は内藤満幸で、その娘は南朝側の楠木正成の長男楠木正行に嫁いだ[1]。満幸が北朝側の高師直に寝返ったため離縁され、摂津池田氏池田教依に嫁ぎ直したとされる[2]

天正年間(1573年1591年)には高頼の後裔野間豊後守資持が在城していたと伝わっている。

脚注

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  1. ^ 文化財への道 野間の姫と九条の黒姫『広報のせ』5月号(671号)、2019年
  2. ^ 続本朝通鑑『大日本史料. 第6編之11』東京大学史料編纂所

関連項目

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