コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

金之宮

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
金之宮

地図
所在地 静岡県富士宮市淀師1381番地の1
位置 北緯35度14分29.00秒 東経138度36分02.03秒 / 北緯35.2413889度 東経138.6005639度 / 35.2413889; 138.6005639 (金之宮)座標: 北緯35度14分29.00秒 東経138度36分02.03秒 / 北緯35.2413889度 東経138.6005639度 / 35.2413889; 138.6005639 (金之宮)
主祭神 木花之佐久夜毘売命
金山毘古神・金山毘賣神(配神)[1]
社格 村社
例祭 5月4日
テンプレートを表示

金之宮(かんのみや)は、静岡県富士宮市淀師にある神社

概要

[編集]

富士山本宮浅間大社の元摂末社であり、同社と関係が深い。例えば慶安3年(1650年)の奥書を持つ『富士本宮年中祭礼之次第』に本宮祭礼として金之宮神事が記される[2][3]

同史料によると、正月に富士大宮司らによって執り行われる「地蔵巡り」の巡礼地として金之宮が数えられる[4][5]。また卯月初申より七日以前之寅ノ日に行われる、富士塚や阿字神社等を巡礼する「浜下り神事」の条項に「禁足」が記され、「禁足ハ金之宮神事迄也」とある[6]

また富士山本宮浅間大社の流鏑馬神事に係り、5月4日に金之宮においても流鏑馬が行われていた[7][8][9]

天正5年(1577年)『富士大宮神事帳』より、上記のような金之宮祭礼・御神事の神事銭は富士氏葛山氏由比氏らが担っていたことが知られる[10]

脚注

[編集]

出典

[編集]
  1. ^ 浅間神社 1929, p. 49.
  2. ^ 合田 2004, p. 45.
  3. ^ 浅間文書纂 1973, p. 31.
  4. ^ 浅間文書纂 1973, p. 18.
  5. ^ 杦嵜 2003, p. 59.
  6. ^ 浅間文書纂 1973, p. 24.
  7. ^ 浅間文書纂 1973, p. 34.
  8. ^ 富士宮市 2007, p. 10.
  9. ^ 相場 2011, p. 41.
  10. ^ 合田 2004, p. 40-48.

参考文献

[編集]
  • 静岡県富士郡大宮町浅間神社社務所『富士郡神社銘鑑 第1輯』1929年。 
  • 浅間神社社務所『浅間文書纂』名著刊行会、1973年。 
  • 杦嵜典子「富士周辺の山宮祭祀」『神道宗教』第191号、2003年、51- 74頁。 
  • 合田尚樹「戦国期における富士大宮浅間神社の地域的ネットワーク―「富士大宮神事帳」の史料的分析から―」『武田氏研究』第30号、2004年、30-51頁。 
  • 富士宮市教育委員会『富士山本宮浅間大社流鏑馬調査報告書』2007年。 
  • 相場朋子「富士山本宮浅間大社の流鏑馬神事-農耕神事と武芸の観点から-」『文化学研究』第20号、2011年、29-52頁。 

関連項目

[編集]