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金井ビル火災

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
金井ビル火災
現場 日本の旗 日本・神奈川県川崎市駅前本町2番地1(火災当時)[1]
発生日 1966年(昭和41年)1月9日[1]
0時58分ごろ[1] (JST)
類焼面積 691.5平方メートル(延焼範囲は3階から屋上までの各階。焼損率49パーセント)[1]
原因 不明[1][注釈 1][要出典]
用地 商業地域、防火地域 用途=複合用途商業ビル[1][2]
被害建築物 金井ビル(建築面積200.99平方メートル、延床面積1,398.69平方メートル、地上6階建、地下1階、高さ23.1メートル、鉄筋コンクリート造(RC造)、特定防火対象物16項[注釈 2]、1961年4月竣工)[1]
死者 12人[1]
負傷者 14人(うち6人は消防隊員)[1]
関与者 ビル経営者、キャバレー支配人、3階および4階で営業するキャバレーの従業員[3]
目的 営業終了後に開催された従業員による新年会[4]

金井ビル火災(かないビルかさい)とは、1966年(昭和41年)1月9日未明に神奈川県川崎市駅前本町の「金井ビル」で発生した雑居ビル火災である[5]

死者12人、負傷者14人におよぶ被害を出した。

本件火災は、大きな人的被害を出した雑居ビル火災としては日本において初めての事例とされ、雑居ビルの概念を一般に定着させた。また防火区画の不備から延焼拡大を招き、階段やダクトなどの縦穴区画が不完全であったことから煙による被害が甚大となった。その結果、縦穴区画および排煙設備の規定に関して建築基準法令の改正が施行されるきっかけとなった。

金井ビル

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金井ビルは、1961年(昭和36年)4月に川崎市(現在の同市川崎区)駅前本町2で竣工した地上6階建、地下1階を含む複合用途の商業雑居ビルである[1][2][5]。金井ビルの建築的特徴は、建築面積約200平方メートル[1]、延床面積約1,399平方メートル[1]、最上階6階までの高さ23.1メートル[2]、表間口9.2メートル(南面)[2]、裏間口8.9メートル(北面)[2]、奥行23.3メートル(東面および西面)[2]などである。外観的特徴としては、間口が狭く奥行きが深い、京町屋のような細長い外形をしたペンシルビルであった[2]。構造的特徴としては、鉄筋コンクリート造(RC造)で[5]、大通りに面した南面のみにカーテンウォール型の全面ガラス張りアルミサッシを採用し[6]、その他の面はタイル張りとなっていた[6]

1966年当時の各階の用途は、地下1階が喫茶店「ニューモンブラン」および倉庫[2][7]、1階がパチンコ[2][7]、2階がスマートボール遊技場(1・2階ともに店舗名「びっくりや」)[2][7]、3階および4階がキャバレー「ミス川崎」[2][7]、5階がビル経営者の住居・金井ビル総合事務所・倉庫[2][7]、6階が遊技場従業員用宿舎および機械室[2][7]屋上には塔屋(PH)および平屋建プレハブ住居が設置されていた[2][7]

3階と4階の間は、フロアの一部が吹き抜け構造になっており、両階を鉄製の螺旋階段で結んでいた[8]。屋上設置のプレハブ住居に関しては、1963年(昭和38年)4月に増設され、ビル経営者の親族が居住していたが[2]、建築許可を得ていない違法な建築物となっていた[2][7][注釈 3]

金井ビルは、昭和30年代から40年代にかけて全国の都市部で乱立し始めていた典型的な中小の雑居ビルであった[2]

火災

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出火

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1966年1月9日0時58分頃、3階のキャバレー「ミス川崎」[2][7]の女子更衣室・木製ロッカー内から出火した[5]。出火後の初期消火には失敗した[5]

救助

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消防は初期情報から逃げ遅れなしと考えていたが、野次馬が屋上に人影を発見、所有者の長男・次男・親戚の7名が取り残されていることを知った。彼らを助けるため、はしご車のアームを伸ばしての救助を試みたが、はしごは12mまでで、高さ23mの場所にいる彼らのところに届かなかった。

川崎市消防局は苦肉の策として、隣のビルからナイロンロープを渡して7名を渡らせるという決断を行った。ただ、命綱を付けないこと、深夜で闇の中だったこと、年少者がいることも危険の度合いを増していた。しかし、消防隊の懸命の努力により危険を乗り越え、7名が渡り切り、ロープを使った救助に成功した。

火災後

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この火災後、高層化するビルに対応するため、川崎市消防局に31m級のはしご車が配備され、全国の消防に先立って川崎市消防局に専任の「消防特別救助隊」が編成されることとなった。 なお、火災現場となった場所には現在同名のビルが建っている。

脚注

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注釈

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  1. ^ 川崎市消防局の調査によれば、出火元の3階ホステス更衣室・木製ロッカー内には火の気がないことから、収納した衣類と火が点いたままのタバコを一緒に仕舞い込んで発火、あるいは着替えの際に火の点いたタバコをロッカー内部の端に置き、そのまま扉を閉めたのちに発火と推定されたが、推定原因を断定するまでには至らなかった[1]
  2. ^ 火災当時の特防区分による。当時は16項に「イ、ロ、ハ」の区分は無かった。現在の区分に当てはめると「16項イ」に相当する[1]
  3. ^ 当記事では、屋上のプレハブ住居については違法建築につき、延床面積に加算しない。ただし、焼損面積としては屋上が焼損したとして加算する。

出典

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  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n 東京消防行政研究会 1983, p. 224.
  2. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r 全国市長会 1966, p. 66.
  3. ^ 東京消防行政研究会 1983, pp. 224–227.
  4. ^ 東京消防行政研究会 1983, p. 226.
  5. ^ a b c d e "創刊50周年記念 災害と法改正で振り返る50年" (PDF). 近代消防. 近代消防社. 51 (8 #631): 90. 2013年8月. 2016年3月4日時点のオリジナル (PDF)よりアーカイブ。2015年10月16日閲覧
  6. ^ a b 建築術編集委員会 1968, p. 109.
  7. ^ a b c d e f g h i 日本火災学会 1966, p. 28.
  8. ^ 日本火災学会 1966, pp. 149–150, 152.

参考文献

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関連項目

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外部リンク

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