金光文右衛門
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時代 | 戦国時代 - 安土桃山時代 |
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生誕 | 不詳 |
死没 | 不詳 |
別名 | 通称:文右衛門 |
主君 | 宇喜多直家→秀家 |
氏族 | 金光氏 |
父母 | 父:金光宗高 |
兄弟 | 太郎右衛門 |
金光 文右衛門(かなみつ ぶんえもん)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。宇喜多氏家臣[1]。知行は900石[1]。本丸御番衆。
岡山城主金光宗高の息子として生まれる[1]。生年は不明[1]。嫡男とされ、金光太郎右衛門は弟に当たるとされる。元亀元年(1570年)、父宗高が宇喜多直家に切腹させられると、岡山城を明け渡し、直家に仕えた[1]。天正8年(1580年)、備中国冠山城における毛利氏との戦いで勲功を挙げた[1]。冠山城攻めの際に、勇猛で知られた毛利方の武将湯浅新蔵を討ち取っている。慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いで西軍についた宇喜多秀家が敗れた後、弟の太郎右衛門や甥の安兵衛と共に隠棲した。隠棲の地は『備前軍記』巻3や『吉備温故秘録』によると備前国御野郡古松村という[2]。古松村は現在の岡山県岡山市東古松、西古松である。隠棲後の動静は分からない。没年も不明[1]。