金剛寺 (青梅市)
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金剛寺 | |
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所在地 | 東京都青梅市青梅1032 |
位置 | 北緯35度47分21.0秒 東経139度14分57.0秒 / 北緯35.789167度 東経139.249167度座標: 北緯35度47分21.0秒 東経139度14分57.0秒 / 北緯35.789167度 東経139.249167度 |
山号 | 青梅山 |
院号 | 無量寿院 |
宗派 | 真言宗豊山派 |
本尊 | 不動明王 |
創建年 | 承平年間(931年 - 938年) |
開山 | 寛空僧正 |
開基 | 平将門 |
中興年 | 元亨年間(1321年 - 1324年) |
中興 | 頼遍上人 |
文化財 | 絹本著色如意輪観音像(重要文化財)他 |
公式サイト | 青梅山無量寿院金剛寺-金剛寺は東京都の西にある青梅市の名前の由来にもなった「将門誓いの梅」を擁する真言宗豊山派のお寺です |
法人番号 | 9013105000905 |
金剛寺(こんごうじ)は、東京都青梅市にある真言宗豊山派の寺院。
歴史
[編集]承平年間(931年 - 938年)、平将門の開基である[1]。平将門が当地に来たとき、馬の鞭にしていた梅の枝を地に挿して「我が望み叶うなら根づくべし、その暁には必ず一寺建立奉るべし」と誓いを立てた。すると根付き成長したことから、誓いどおりに寺を創建した。これが当寺の起源である[2]。
将門が植えた梅の木に実がなったが、なぜか成熟せず青いままだった。いつしか、この梅の木は「将門誓いの梅」と呼ばれるようになり、青い梅の実の逸話から、「青梅」という地名の由来となった。この将門誓いの梅は、本堂前にある。現在は二代目にあたる[2]。
元亨年間(1321年 - 1324年)に頼遍上人が中興した[3]。
三田氏・後北条氏・徳川氏(江戸幕府)と領主は変われども、手厚く保護されてきた[2]。当寺から真言宗豊山派管長を二人輩出している[3]。
文化財
[編集]- 絹本著色如意輪観音像(重要文化財 大正15年4月19日指定)[4]
- 金剛寺表門(東京都指定有形文化財 昭和51年7月1日指定)[5]
- 絹本着色田辺清右衛門惟良画像(東京都指定有形文化財 昭和51年7月1日指定)[6]
- 絹本着色高野四所明神図(東京都指定有形文化財 昭和51年7月1日指定)[7]
- 青磁鉢(東京都指定有形文化財 昭和51年7月1日指定)[8]
- 金剛寺聖教(東京都指定有形文化財 昭和51年7月1日指定)[9]
- 灌頂文要集(東京都指定有形文化財 昭和51年7月1日指定)[10]
- 三宝院伝法灌頂聞書(東京都指定有形文化財 昭和51年7月1日指定)[11]
- Siddham反音私抄(東京都指定有形文化財 昭和51年7月1日指定)[12]
- 寺領安堵状(青梅市指定有形文化財 昭和39年11月3日指定)[13]
- 三田氏位牌裏書(青梅市指定有形文化財 昭和39年11月3日指定)[13]
交通アクセス
[編集]- 青梅駅より徒歩15分。
脚注
[編集]- ^ 多摩川散策マップ 上流編1 国土交通省関東地方整備局
- ^ a b c 柴田博、相川浩子 著『武蔵野古寺巡礼(シバ巡礼シリーズ2)』シバ、1994年、153-157p
- ^ a b 青梅山無量寿院金剛寺金剛寺
- ^ 絹本著色如意輪観音像文化庁
- ^ 金剛寺表門東京都
- ^ 絹本着色田辺清右衛門惟良画像東京都
- ^ 絹本着色高野四所明神図東京都
- ^ 青磁鉢東京都
- ^ 金剛寺聖教東京都
- ^ 灌頂文要集東京都
- ^ 三宝院伝法灌頂聞書東京都
- ^ Siddham反音私抄東京都
- ^ a b 青梅市の文化財青梅市
参考文献
[編集]- 柴田博、相川浩子 著『武蔵野古寺巡礼(シバ巡礼シリーズ2)』シバ、1994年