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金博昭

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
金 博昭
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 東京都杉並区
生年月日 (1939-01-07) 1939年1月7日(85歳)
身長
体重
166 cm
66 kg
選手情報
投球・打席 左投左打
ポジション 外野手
プロ入り 1967年 ドラフト9位
初出場 1968年4月19日
最終出場 1969年8月13日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

金 博昭(こん ひろあき、1939年1月7日 - )は、東京都出身の元プロ野球選手外野手)。

来歴・人物

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帝都育英工を1年で中退し、再入学した日大二高から明治大学日本大学へ進学したが、それぞれ一年で中退[1]

1960年に、当時は準硬式野球部であった立正佼成会へ進んだ。翌年にチームが硬式に転向し、1963年には熊谷組1964年にはサッポロビールの補強選手として都市対抗に出場。1965年都市対抗にエース若生和也を擁しチーム初出場。大会史上に残る大応援団のもと、1回戦で三重交通を降すが、2回戦で松下電器に敗れた。この大会では打率.528で首位打者となる[1]。また1967年には、監督兼選手としてチームを率いた。同年都市対抗に再度出場し、打率.444を記録し優秀選手となった[1]。立正佼成会のチームメートに小川健太郎黒江幸弘らがいる。

野球部の解散決定に伴い、1967年のドラフト会議中日ドラゴンズから9位指名を受け、同じく指名された若生とともに、28歳という年齢で入団する[2]。これは当時の最年長記録だった(2005年東北楽天ゴールデンイーグルスに指名された山崎隆広が29歳1ヶ月で記録更新した)。俊足好打のチャンスメーカーとしての働きが期待され、1968年の最終戦では一番打者として初の先発出場を果たす。翌年も2試合に一番打者として起用されたが、その後はあまり出場機会に恵まれず、1970年限りで現役を引退した[2]

詳細情報

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年度別打撃成績

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O
P
S
1968 中日 36 35 31 2 7 0 0 0 7 0 1 0 1 0 3 0 0 10 0 .226 .294 .226 .520
1969 9 11 11 1 2 0 0 0 2 0 1 0 0 0 0 0 0 2 0 .182 .182 .182 .364
通算:2年 45 46 42 3 9 0 0 0 9 0 2 0 1 0 3 0 0 12 0 .214 .267 .214 .481

記録

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背番号

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  • 49 (1968年 - 1970年)

脚注

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  1. ^ a b c 週刊ベースボール』 1968年1月8日号、ベースボール・マガジン社、50頁。
  2. ^ a b プロ野球人名事典 2003(2003年、日外アソシエーツ)、232ページ

関連項目

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外部リンク

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