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金子剛

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
金子剛
名前
カタカナ カネコ ツヨシ
ラテン文字 KANEKO Tsuyoshi
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1983-04-08) 1983年4月8日(41歳)
出身地 栃木県宇都宮市
身長 183cm
体重 74kg
選手情報
ポジション FW
利き足 右足
ユース
1999-2001 日本の旗 鹿沼東高校
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
2002-2005 日本の旗 水戸ホーリーホック 25 (3)
2004 日本の旗 グルージャ盛岡 10 (25)
2006-2007 日本の旗 栃木SC 15 (2)
2008-2009 日本の旗 横河武蔵野FC 38 (8)
2010 日本の旗 エリースFC東京
2010 日本の旗 アビラーション
2014-2019 日本の旗 東京武蔵野シティFC[注 1] 70 (8)
通算 158 (46)
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

金子 剛(かねこ つよし、1983年4月8日 - )は、栃木県出身の元サッカー選手である。ポジションはFW

来歴

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2002年から水戸ホーリーホックに加入。2003年、川崎フロンターレ戦でプロ初ゴール、それが決勝点となる。その年、大宮アルディージャ戦、天皇杯でも得点を奪う。その後2004年は開幕戦にベンチ入りするものの、その翌月に桜井鐘吾、池田光忠と共にグルージャ盛岡レンタル移籍。 グルージャ盛岡では、東北2部で10試合25得点を奪い、昇格に貢献をした。

2005年に古巣復帰を果たすと、開幕戦第1号ゴールを決めた。9試合1得点。

2006年より地元の栃木SCに入団。2006、2007年在籍。

2008年からは横河武蔵野FCに入団。2008、2009、38試合、8得点。

2010年よりアビラーションに入団。

2014年、横河武蔵野FCコーチに就任。同年3月に選手登録され、現役に復帰した[1]

2019年、現役引退を発表した[2]

所属クラブ

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個人成績

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国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
日本 リーグ戦 リーグ杯天皇杯 期間通算
2002 水戸 25 J2 2 0 - 0 0 2 0
2003 14 2 - 3 1 17 3
2004 15 0 0 - - 0 0
2004 盛岡 東北2部北 10 25 -
2005 水戸 15 J2 9 1 - 0 0 9 1
2006 栃木 36 JFL 11 2 - 0 0 11 2
2007 32 4 0 - 0 0 4 0
2008 横河武蔵野 18 29 7 - - 28 7
2009 9 1 - 0 0 9 1
2010 A東京 関東2部 -
アビラーション 25 福島県1部 -
2014 横河武蔵野
武蔵野
33 JFL 20 4 - - 20 4
2015 23 2 - - 23 2
2016 23 12 2 - - 12 2
2017 12 0 - - 12 0
2018 3 0 - - 3 0
2019 0 0 - - 0 0
通算 日本 J2 25 3 - 3 1 28 4
日本 JFL 123 18 - 0 0 123 18
日本 東北2部北 10 25 - 10 25
日本 関東2部 -
日本 福島県1部 -
総通算 155 -

指導歴

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エピソード

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2012年3月11日、元栃木SCの選手で栃木SCドリームアンバサダーを務める佐藤悠介が主催した「3.11悠介ドリームズメモリアルゲーム」に参加し、「栃木SC OB」チームで久々に当時のユニフォームを着用して出場した[3]

脚注

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  1. ^ 2015年までは「横河武蔵野FC」

出典

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  1. ^ 【お知らせ】金子剛コーチの選手兼任のお知らせ 横河武蔵野FC 2014年3月28日
  2. ^ 金子剛選手 引退のお知らせ - 東京武蔵野シティFC、2019年12月20日(2021年3月24日閲覧)
  3. ^ 「3.11悠介ドリームズメモリアルゲーム」栃木SC OB(JFL)メンバーのお知らせ”. 栃木SC公式サイト (2012年3月7日). 2012年3月16日閲覧。

関連項目

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外部リンク

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