金子定一
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金子 定一 | |
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生誕 |
1885年6月3日 日本岩手県盛岡市 |
死没 | 1960年4月30日(74歳没) |
所属組織 | 大日本帝国陸軍 |
軍歴 | 1907年 - 1936年 |
最終階級 | 陸軍少将 |
指揮 | 金沢連隊区司令官 |
出身校 |
陸軍士官学校 陸軍大学校 |
除隊後 | 満州国中央警察学校講師 |
金子 定一 | |
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選挙区 | 岩手2区 |
当選回数 | 1回 |
在任期間 | 1942年4月30日 - 1945年12月18日 |
金子 定一(かねこ ていいち、1885年(明治18年)6月3日[1] - 1960年(昭和35年)4月30日[2])は、日本の陸軍軍人、政治家。最終階級は陸軍少将。衆議院議員(1期)。
経歴
[編集]岩手県盛岡市出身[3]。1907年に陸軍士官学校(19期)[1][2]を、1915年に陸軍大学校(27期)を卒業する[1][2]。第八師団、支那駐屯軍などの各参謀[2][3]、参謀本部員[2][3]、金沢連隊区司令官[1][3]、陸軍大学校教官などを歴任し[3]、1936年に陸軍少将に累進し、予備役となる[1]。予備役編入後は満州国中央警察学校講師[2]、新京実務学院、同女子実務学院各校長[2]、満州国蒙政部嘱託、同協和会中央委員となる[3]。1942年の翼賛選挙では岩手2区(当時)から翼賛政治体制協議会の推薦を受けて当選した。
栄典
[編集]- 位階
- 勲章等
- 1940年(昭和15年)8月15日 - 紀元二千六百年祝典記念章[6]
- 外国勲章佩用允許
伝記
[編集]- 小野寺永幸『東アジア風雲の明星秘録・金子定一の生涯:五族共和を目指して』東北史学研究所、2009年。
著作
[編集]- 『日本民族の大陸還元』千倉書房、1939年。
脚注
[編集]- ^ a b c d e 『日本陸軍将官辞典』221頁。
- ^ a b c d e f g 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』178頁。
- ^ a b c d e f 議会新聞社 編『翼賛議員銘鑑』1943年、112頁。NDLJP:1439721。
- ^ 総理庁官房監査課 編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年、214頁。NDLJP:1276156。
- ^ 『官報』第1434号「叙任及辞令」1931年10月8日。
- ^ 『官報』第4438号・付録「辞令二」1941年10月23日。
- ^ 「赤堀鉄吉外十四名外国勲章記章受領佩用の件」 アジア歴史資料センター Ref.A10113504500
参考文献
[編集]- 『翼賛議員銘鑑』議会新聞社、1943年。
- 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
- 福川秀樹『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。