金明竹
金明竹(きんめいちく)は古典落語の演目の一つ。主に東京で広く演じられる。「錦明竹」とも表記する。
概要
[編集]骨董屋(古美術店)を舞台とした滑稽噺。店の小僧と客のおかしなやり取りを描いた前半部および、小僧と店主の妻が上方者の難解な言葉に振り回される後半部の二部構成となっており、多くは後半部のみ演じられる。作者は初代石井宗叔で[1]、前半部分を宗叔が作り、一旦大坂に広まった後、後半部分を加えて、明治時代に江戸に再輸入された[1]。
前半は狂言の「骨皮」、後半は初代林屋正蔵が1834年(天保5年)に出版した自作落語集『百歌撰』中の「阿呆の口上」が元になっている[要出典]。
噺の構成のシンプルさに比して、後半に登場する上方者のセリフは非常に難解なものである。そのため、同演目には、語感の面白おかしさで笑わせるだけではなく、滑らかで明朗な発話をするという落語家の基礎的な技量を図るノルマとしての一面があり、前座の落語家が口を鍛えるために同演目を演じることが慣習となっている[要出典]。「寿限無」と並ぶ前座噺であるが、「金明竹」の方が難易度は高い[1]。最初に「寿限無」を覚えて、それがすらすらと暗唱できるようになったら「金明竹」へ進むというのが修行のセオリーであるという[要出典]。
もちろん真打が決して演じない噺というわけではなく、4代目橘家圓喬、3代目三遊亭圓馬、3代目三遊亭金馬の口演がよく知られた。とりわけ4代目圓喬は、上方者のセリフを3度語るたびに、並べる道具の順序をことごとく変えて演じたと伝えられている。
あらすじ
[編集]前半
[編集]骨董屋を経営しているおじ(以下、店主)のもとに世話になっている少年(松公あるいは与太郎。以下「小僧」)が店番をしていると、急に雨が降ってきて、ひとりの男が「雨宿りのために、軒(のき)を貸してくれ」と言って店に入ってくる。「軒先にいさせてくれ」という意味だが、小僧は言葉通りに受け取って「軒を持って行かれる」と勘違いしたため、おじが最近買ったばかりの高級な蛇の目傘を与え、「返してくれなくてもいい」と言って送り出した。このことを聞いた店主が「こういうときは『うちにあった貸し傘は、長じけ(=悪天候が続いたことによる酷使)でバラバラになりまして、使い物になりません。焚きつけにでもしよう、と思って、束ねて物置に放り込んであります』と言って断るんだ」と言って小僧を叱る。その直後、向かいの家の住人が「うちの押し入れでネズミが暴れて困るので、お宅のネコをお借りしたい」と言ってきた。小僧は「うちの貸しネコは、こないだからの長じけでバラバランなっちゃって。焚きつけにしようと思って、物置に放り込んであるン……」
店主は再び小僧を叱る。「ネコらしい断り方、ってェのがあるんだよ。『うちにもネコが1匹おりますが、この間からすっかりさかりがつきまして、とんと(=まったく)うちへ寄りつきません。久しぶりで帰ってきたと思ったら、どこかでエビのしっぽでも食べたんでしょう、すっかりお腹を下しておりまして、マタタビをなめさして奥へ寝かせてあります』これがネコの断りようじゃねェか」その後、隣町にある出入り業者・相模屋からの使いがやって来て、「目利きを手伝ってもらいたいので、旦那さまの顔をお借りしたい」と言う。小僧は「うちにも旦那が1匹おりますが、この間からすっかりさかりがつきまして、とんとうちへ寄りつきません。久しぶりで帰ってきたと思ったら、どこかでエビのしっぽでも食べたんでしょう、すっかりお腹を下しておりまして、マタタビをなめさして奥へ寝かせてあります」
後半
[編集]店主が店を出たあと、ひとりの上方者らしい男がやって来て、以下のことを早口で一気にまくし立てる(以下は一例)。
「わては、中橋の加賀屋佐吉方から使いに参じまして、先度、仲買の弥市が取り次ぎました、道具七品(ななしな)のうち、祐乗(ゆうじょ)・光乗(こうじょ)・宗乗(そうじょ)[2]三作の三所物(みところもん)[3]。ならび、備前長船の則光(のりみつ)[4]。四分一ごしらえ、横谷宗珉[5]の小柄(こづか)付きの脇差……柄前(つかまえ)[6]な、旦那さんはタガヤサン(あるいは、古タガヤ)や、と言うとりましたが、埋もれ木[7]やそうで、木ィが違うとりましたさかい、ちゃんとお断り申し上げます。次はのんこの茶碗。黄檗山金明竹[8]、遠州宗甫の銘がございます寸胴[9]の花活け。織部の香合。『古池や蛙飛びこむ水の音』言います風羅坊正筆の掛物。沢庵・木庵・隠元禅師貼り混ぜ[10]の小屏風……この屏風なァ、わての旦那の檀那寺が兵庫におまして、兵庫の坊(ぼん)さんのえろう好みます屏風じゃによって、『表具にやって兵庫の坊主の屏風にいたします』と、こないお言づけを願いとう申します」
強いなまりの上、業界特有の符牒や省略語に満ちた上方者の言葉の意味を、小僧は理解できず、あっけにとられながらも、面白がって「3銭やるからもういっぺんやれ」とからかう。小僧は上方者の伝えようとする伝言をもう一度聞くが、結局飽きてしまい「おばさん、変な人が来た」と叫んで、店主の妻を呼ぶ。「ああ、お家(いえ)はんでっか」「お湯屋さんはあちらですよ?」店主の妻も上方者の言葉がさっぱりわからない。上方者は同じ話を4回もさせられたあげく、クタクタに疲れ、逃げるように帰ってしまった。
相模屋から帰ってきた店主は、妻から上方者の来訪について報告を受ける。「ええと、中橋の加賀屋佐吉さんのお使いの方が……」「仲買の弥市なら、おめえだって知ってるだろ?」「弥市っつぁんの使いの方がお見えになったの。この弥市っつぁんが、気が違っちゃったって」「なんだって?」「遊女を身請けしたの。孝女だったの。で、掃除が好きなの」「掃除が好きな遊女があってもいい。それがどうした?」「なんでも、遊女を寸胴切りにしちゃって、弥市っつぁん逃げようと御座船に乗って備前へ。船ではたくあんとインゲン豆のお茶漬けばかり食べて、いくら食べても、のんこのしゃあ」「話がさっぱりわからねえ」[11]「そしたら船は兵庫に着いちゃって、そしたらあなた、お寺がありましてね。お坊さんがいるんです」「そりゃ寺に坊さんがいたって、ちっとも不思議はない」「そのお坊さんと、なんですか、屏風の陰でいっしょに寝たという……」「少しはっきりしているところはないのかい」「あっ、思い出しました。古池に飛び込んだんです」「弥市が古池へ飛び込んだ!? あいつには道具七品を買うように手金を打ってあった(=報酬を支払っていた)んだが、それを買ってかい?」
「いいえ、カワズ」(買わず=蛙)
バリエーション
[編集]- 名古屋市出身の3代目三遊亭圓丈は、加賀屋から来た男のなまりを名古屋弁に改変して演じる[12]。立川志らくは英語なまりで演じる[要出典]。立川談笑は津軽弁で演じる[13][14]。林家きく麿は博多弁で演じ、現在は中華まんを題材に改作して陳宝軒として演じている[要出典]。
エピソード
[編集]脚注
[編集]- ^ a b c 興津要『古典落語続』講談社、2004年3月、340-341頁。
- ^ 3人は金細工師(金工家)の後藤四郎兵衛家の歴代。祐乗は足利時代の初代。光乗は2代目で織田信長に仕えた。宗乗は4代目。
- ^ 脇差の付属品である、目貫(めぬき)、小柄(こづか)、笄(こうがい)の3点セット。
- ^ 刀工の名。
- ^ 江戸時代中期の金細工師で、絵画風彫金を考案した人物。
- ^ 刀の柄(つか=持ち手の部分)のこと。あるいは、そのこしらえ具合。
- ^ 黒檀や紫檀の代用品として用いられた。
- ^ 京都・宇治産の金明竹(キンメイモウソウ、en:Phyllostachys heteroclada。孟宗竹の変種。黄金色で節の溝に緑色の縦筋が入る)
- ^ 寸胴切り(=輪切り)のこと。
- ^ 「貼り混ぜ」とは、複数人の書いた書画を一つの表具に貼ったもの。
- ^ 「ウンコがシャー」「汚いねえ」と言う下品な演出もある。「のんこのしゃあ」とは「平然としている」という意味。
- ^ “日本の話芸 落語「名古屋版 金明竹」三遊亭圓丈”. 放送ライブラリー. 放送番組センター. 2022年2月7日閲覧。
- ^ “立川談笑|金明竹”. ラジオデイズ. 2024年1月7日閲覧。
- ^ 立川談笑 [@danshou] (2018年3月18日). "『金明竹』について、解説。". X(旧Twitter)より2024年1月7日閲覧。