金時権
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金時権 | |
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各種表記 | |
ハングル: | 김시권 |
漢字: | 金時權 |
発音: | キム・シグォン |
金 時権(きん じけん、キム・シグォン、朝鮮語: 김시권、1884年(高宗21年 / 明治17年)5月13日[1] - 没年不明)は、明治から昭和にかけての朝鮮総督府官僚。日本名は菊山時権[1]。位階は正四位[1]、勲位は勲三等[1]。
経歴
[編集]1884年に黄海道載寧郡で生まれた。1908年に官立平壌日語学校を卒業し[2]、1909年に大韓帝国の官吏となり、財務署主事に任命された[2]。1910年(明治43年)に韓国が併合されると朝鮮総督府に奉職し、郡書記に任命された[2]。1917年(大正6年)に会寧郡守に昇進し[2]、1918年(大正7年)に穏城郡守に転じた[2]。1919年(大正8年)に三・一運動が発生した際に、運動を鎮圧したことにより日本から認められた[2][3]。1922年(大正11年)に咸鏡北道商工課長に転じ[2]、1923年(大正13年)に同道社会課長、1924年(大正14年)に同道地方課長を歴任した[2]。その後、平安南道産業課長、咸鏡南道財務部長、咸鏡北道内務部長を歴任した[2]。1932年(昭和7年)に慶尚北道参与官兼産業部長に任命され、慶尚北道での営農経済更生に尽力した[2]。1936年(昭和11年)に全羅北道知事に任命され[3]、1937年(昭和12年)に江原道知事に転じた[3]。1939年(昭和14年)5月に知事を退官し[3]、朝鮮マグネサイト開発株式会社常任監査に就いた[4]。1940年(昭和15年)に国民総力朝鮮連盟理事に就任。1943年(昭和18年)1月に国民総力朝鮮連盟評議員に転じ、同年4月に京畿道始興郡東面長に就任した[1]。
出典
[編集]参考文献
[編集]- 帝国秘密探偵社 編『大衆人事録. 第14版 外地・満支・海外篇』帝国秘密探偵社、1942年 。
- 帝国秘密探偵社 編『大衆人事録. 外地・満支・海外篇』帝国秘密探偵社、1940年 。