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金時権

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
金時権
各種表記
ハングル 김시권
漢字 金時權
発音: キム・シグォン
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金 時権(きん じけん、キム・シグォン、朝鮮語: 김시권1884年高宗21年 / 明治17年)5月13日[1] - 没年不明)は、明治から昭和にかけての朝鮮総督府官僚。日本名菊山時権[1]位階正四位[1]勲位勲三等[1]

経歴

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1884年黄海道載寧郡で生まれた。1908年に官立平壌日語学校を卒業し[2]1909年大韓帝国の官吏となり、財務署主事に任命された[2]1910年明治43年)に韓国が併合されると朝鮮総督府に奉職し、郡書記に任命された[2]1917年大正6年)に会寧郡守に昇進し[2]1918年(大正7年)に穏城郡守に転じた[2]1919年(大正8年)に三・一運動が発生した際に、運動を鎮圧したことにより日本から認められた[2][3]1922年(大正11年)に咸鏡北道商工課長に転じ[2]1923年(大正13年)に同道社会課長、1924年(大正14年)に同道地方課長を歴任した[2]。その後、平安南道産業課長、咸鏡南道財務部長、咸鏡北道内務部長を歴任した[2]1932年昭和7年)に慶尚北道参与官兼産業部長に任命され、慶尚北道での営農経済更生に尽力した[2]1936年(昭和11年)に全羅北道知事に任命され[3]1937年(昭和12年)に江原道知事に転じた[3]1939年(昭和14年)5月に知事を退官し[3]、朝鮮マグネサイト開発株式会社常任監査に就いた[4]1940年(昭和15年)に国民総力朝鮮連盟理事に就任。1943年(昭和18年)1月に国民総力朝鮮連盟評議員に転じ、同年4月京畿道始興郡東面長に就任した[1]

死後は親日反民族行為者に認定された[5]

出典

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  1. ^ a b c d e 帝国秘密探偵社 1942, 朝鮮35頁.
  2. ^ a b c d e f g h i j 김시권 ( 金時權 ) 国史編纂委員会
  3. ^ a b c d 김시권(金時權) 韓国民族文化大百科事典
  4. ^ 帝国秘密探偵社 1940, 朝鮮21頁.
  5. ^ 06년 12월6일 이완용 등 친일반민족행위자 106명 명단 확정 공개” (朝鮮語). 한국일보 (2021年12月6日). 2022年7月25日閲覧。

参考文献

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