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金東一 (化学者)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
金東一
各種表記
ハングル 김동일
漢字 金東一
発音: キム・ドンイル
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金東一(キム・ドンイル、1908年3月9日 - 1998年7月20日)は、大韓民国応用化学者石泉(석천)。

経歴

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1908年3月9日、平安南道江西郡に生まれる[1][2]。教育熱心な父親の意向で幼い頃から漢文を学び[1][2]、私立鳳儀学校[1]、平壌上儒公立普通学校[2]、平壌公立高等普通学校を経て[1][2]、1926年に旧制佐賀高等学校理科甲類へ入学し、1929年卒業[1][2]。翌年には東京帝国大学へ進み、1933年工学部応用化学科を卒業[1][2]。当時、応用化学科の唯一の朝鮮人卒業生であった[2]

1年間指導教授のもとで助手を務めたのち、1934年に岩城硝子へ入社[1][2]。同社では1939年まで研究科長を務め、酢酸セルロース関連技術により7つの特許を取得した[2]。その後、鐘淵紡績に引き抜かれたが、1942年にはさらに京城紡織へ転じた[1][2]

光復後、京城帝国大学教授となり、1946年にはソウル大学校工科大学の初代学長に就任[1][2]。教授不足のため、専門とする繊維工学以外の科目でも教鞭をとった[2]。1952年、朝鮮戦争の勃発によって持ち越されていた理学博士号を取得[1][2]。大韓民国の成立後、最初に理学博士号を授与されたうちの一人である[2]

その後も韓国化学界の元老として長年に渡って活動し、1998年7月20日に90歳で死去した[1][2]

脚注

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参考資料

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