金森一咳
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金森一咳(かなもり いちがい、本名 比呂尾 ひろお 1941年 - 2013年)は、日本の画家、俳号(三猪) 大阪市出身。妻は歴史家の金森敦子。
来歴
[編集]1941年
- 大阪に生まれる
1986年
- 第一回個展、新宿・銀花コーナーにて「禅宗絵画展」
1989年
- 一咳墨画集「虚空礼拝」(東京美術)より刊行
1991年
- 一咳墨画常設「ギャラリー寒山」[新潟県・北方文化博物館前」開設
1995年
- 「俳禅余話・布袋の袋」(角川書店)刊行
2001年
- 東京より新潟・ギャラリー寒山に転居、第十一回個展 新潟・北方文化博物館にて「金森一咳の世界」
2002年
- 第一回海外個展 ニュージーランド「金森一咳の世界」
2003年
- 4月、第十三回個展 新潟・絵屋にて「金森一咳の世界」
- 7月、第十四回個展 佐渡・両津市郷土博物館
- 禅宗絵画展 -達磨・布袋・寒山拾得・仏画・他-
2004年
- 高井松男演出・主演「墨詩良寛 母の抄」美術・背景画担当
2007年
- 第二回海外個展 シドニー [Kinokuniya Gallery]
- 第三回海外個展 シドニー [Gallery YUGA]
2008年
- 第四回海外個展 シドニー [Kinokuniya Gallery]
- 第五回海外個展 シドニー [Japan Fundation Gallery]
作風
[編集]唐時代の詩人王維を開祖とする中国 南宋画は詩・書・画一体を、文人であることの条件とした。 それゆえ南宋画は、後に文人画とも呼称された。 この南宋画の精神を受け継いで、日本の江戸時代に成立したのが、与謝蕪村や池大雅による南画である。
中国文人と違って蕪村や大雅は画を活計とせざるを得なかったが、しかしその理想は、中国南宋画の脱俗と高踏への遥かなる想いであった。 達磨、寒山拾得、などの「禅宗絵画」から出発した私もまた、この南宋画への遥かなる想いを同じくする者である。
当初は、教典や禅語をもっぱらに画賛句としてきたが、己自身の詩句へのこだわりを捨てることができず、詩・書・画一体への渇きは、「俳諧十牛図」私家版俳画集「荊冠」となり、現在、詞画集「虚空するモーツァルト」が進行中である。
柔らかい曲線と淡彩が特徴的な南画風を真似て画を描くことは、むしろ南画の精神からは一番遠い精神だと自戒しつつ、南画風とは似ても似つかない濃墨と金銀彩色によって、私が最も試みたかったのは、何よりも詩・書・画一体を通しての脱俗へのあとがれであることを、己の非才をも省みず申し述べておきたいと言っている。
著書
[編集]- 俳禅余話『布袋の袋』角川書店 1995年刊
- 禅・俳句・モーツァルト墨画集『虚空礼拝』東京美術 1989年刊
- 一私家版詞集、全五巻『笑ふダイオス』 2004年刊
その他
[編集]- 高井松男・演出、墨詩良寛『母の抄』美術担当背景 2004年
- 高井松男・演出、墨詩良寛『貞心尼の抄』墨象一閻魔図 2005年
外部リンク
[編集]- 金森一咳の世界 - 公式サイト