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金永先

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
金永先
生誕 1932年5月10日
大日本帝国の旗 日本統治下朝鮮 京畿道楊平郡
死没 (2011-07-15) 2011年7月15日(79歳没)
大韓民国の旗 韓国 ソウル特別市松坡区
所属組織 大韓民国陸軍
最終階級 中将
除隊後 中央情報部第2次長
民政党中央委副議長
国会国防委員会委員長
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金永先
各種表記
ハングル 김영선
漢字 金永先
発音: キム・ヨンソン
日本語読み: きん えいせん
ローマ字 KIM YOUNG-SUN
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金 永先(キム・ヨンソン、김영선1932年5月10日 - 2011年7月15日[1])は大韓民国軍人政治家。陸士7期。11、12、13代国会議員。朴正煕暗殺事件での裁判長を務めた。

人物

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1932年京畿道楊平郡楊平邑朝鮮語版光山号東村に生まれる。本貫光山金氏[2]

陸軍士官学校卒業後、陸士教官。朝鮮戦争では第1師団第12連隊中隊長で、汶山戦闘無極里戦闘朝鮮語版永川戦闘に参加[3]第9歩兵師団30連隊1大隊長として人民解放軍第38軍(軍長:江擁輝)との激戦を繰り広げた(白馬高地の戦い[4]

戦後は教育畑を経て第30機械化歩兵師団朝鮮語版長、第6軍団朝鮮語版副軍団長を歴任し、第9歩兵師団長としてベトナム戦争に従軍。陸軍三士官学校校長などを経て合同参謀本部朝鮮語版長。朴正煕暗殺事件にて裁判長を務め、金載圭ら6名に死刑、金桂元大統領府秘書室長に終身刑判決を下した(のち釈放)。

1980年陸軍中将で除隊した後、中央情報部第2次長を務めた。また11月には全斗煥を総裁とする民主正義党を軍部出身者で立ち上げ、党の京畿道支部委員長に就任。翌年の11代総選挙12代総選挙で京畿道の第8選挙区(南楊州 - 楊平)、13代総選挙で加平 - 楊平選挙区より当選。国防委員会委員長、金烏学院理事長、韓国・ケニア議員親善協会会長等をつとめた。

2011年7月15日ソウル峨山病院にて死去。享年79。

年譜

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  • 1948年 - 陸軍士官学校7期(卒業)
  • 1950年 - 第1師団第12連隊第2大隊第7中隊長(中尉)[5]
  • 1952年 - 第30連隊1大隊長(少領)
  • 1961年 - 漢陽大ROTC招待団長
  • 1964年 - 国防大学校朝鮮語版卒業
  • 1956年 - 陸軍大学教官
  • 1965年 - 国防大学院教授
  • 1968年 - 陸軍士官学校教授部長
  • 1969年 - 1971第30機械化歩兵師団朝鮮語版
  • 1971年 - 第6軍団朝鮮語版副軍団長
  • 1971 - 1974駐越白馬師団長
  • 1974年 - 対スパイ対策本部次長
  • 1975年 - 第2訓練所所長
  • 1977年 - 陸軍三士官学校朝鮮語版校長
  • 1979年 - 合同参謀本部長兼対スパイ対策本部長
  • 1980年 - 予備役編入(陸軍中将)、中央情報部第2次長、民政党京畿道支部委員長
  • 1981年 - 1988第11·12代国会議員(京畿道南楊州市·楊平郡、民政党)
  • 1981年 - 国会国防委員会委員長、金烏学院理事長
  • 1985年 - 民政党中央執行委員、韓国・ケニア議員親善協会会長
  • 1985年 - 民政党中央委副議長
  • 1988年 - 第13代国会議員(京畿道加平·楊平、民政党·民自党)
  • 1990年 - 国会国防委員会委員長、民自党京畿加平·楊平地球党委員長(~1992年)
  • 1991年 - ペマン特別対策委員会委員

著書

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  • 白馬高地の光栄/金永先回顧録(上巻)八福円出版、1997/03/01
  • 歴史に締めくくって/金永先回顧録(下巻)八福円出版、1997/10/01

栄典

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親族

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  • 次男・賢洙(陸士37期・陸軍大佐、国軍体育部隊隊長)
  • 長女・歓姫(児童文学・民話研究者、比較文学博士)[6]

登場作品

[編集]

脚注

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  1. ^ 대한민국헌정회”. rokps.or.kr. 2020年1月19日閲覧。
  2. ^ (8)광산 김씨(光山金氏)-837,008명” (朝鮮語). 서울이코노미뉴스 (2014年7月6日). 2022年8月16日閲覧。
  3. ^ “第79話陸士卒業生 正規7期の活躍” (朝鮮語). 中央日報. (1983年3月3日). http://news.joins.com/article/1683036 2016年12月3日閲覧。 
  4. ^ [정전협정 50년 "협상 앞둔 중국軍 백마 전투 필사적"]2003.07.25
  5. ^ 佐々木春隆『朝鮮戦争/韓国編 中巻』、198頁。 
  6. ^ 김환희 | YES24 작가파일

外部リンク

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