金河奎
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金河奎 김하규 | |
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生年月日 | 1936年 |
没年月日 | 2006年 |
出身校 |
金哲柱砲兵軍官学校 金日成軍事総合大学 |
所属政党 | 朝鮮労働党 |
最高人民会議代議員 | |
当選回数 | 3回 |
在任期間 | 1986年11月 - 2003年8月27日 |
最高指導者 |
金日成(1948年 - 1994年) 金正日(1994年 - 2011年) |
在任期間 | 1991年12月24日 - 2006年 |
総書記 総書記 |
金日成(1966年 - 1994年) 金正日(1997年 - 2011年) |
朝鮮人民軍砲兵司令官 | |
在任期間 | 1991年10月 - 不明 |
最高司令官 | 金正日(1991年 - 2011年) |
朝鮮人民軍総参謀部副総参謀長 | |
在任期間 | 1987年9月 - 1991年10月 |
総参謀長 |
呉克烈(1979年 - 1988年) 崔光(1988年 - 1995年) |
金河奎 | |
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各種表記 | |
チョソングル: | 김하규 |
発音: | キム・ハギュ |
金 河奎(キム・ハギュ、朝鮮語: 김하규、1936年 - 2006年[1])は、朝鮮民主主義人民共和国の軍人、政治家。朝鮮人民軍砲兵司令官、朝鮮労働党中央委員会委員などを歴任した。朝鮮人民軍における軍事称号(階級)は大将。
経歴
[編集]1936年に生まれた[2]。出生地は不明[2]。金哲柱砲兵軍官学校、金日成軍事総合大学を卒業[2]。1986年に朝鮮人民軍中将に昇進し[2]、同年11月に最高人民会議第8期代議員に選出された[2]。1987年に朝鮮人民軍総参謀部副総参謀長に任命された[2]。1991年10月に朝鮮人民軍砲兵司令官に転じ[2]、同年12月24日に開催された朝鮮労働党中央委員会第6期第19回総会で党中央委員会委員に選出された[2]。1992年に上将に昇進[2]。
1994年7月8日に金日成主席が死去し国家葬儀委員会が組織されると、同委員会委員に選ばれた[2]。1995年10月の朝鮮労働党創建50週年に際して、最高司令官命令に基づいて、人民軍大将に昇進した[3]。金正日が国防委員長に就任した1998年には、金正日の公式活動に随行した回数が上位10位以内に入るなど、重用されるようになる[1]。しかし、2003年に実施された最高人民会議第11期代議員選挙で代議員から脱落し[4]、動静が途絶えるようになる。
2006年に持病のため死去[1]。2016年5月6日から開かれた朝鮮労働党第7次大会で金正恩委員長が行った「開会の辞」で金河奎をはじめとする「抗日革命闘士と愛国烈士、忘れられないわが党の革命戦友と統一愛国人士」を追慕して黙祷することを提起すると述べた[5]。