金田村 (愛媛県)
表示
かなだむら 金田村 | |
---|---|
廃止日 | 1954年11月1日 |
廃止理由 |
新設合併 川之江町、妻鳥村、上分町、金生町、川滝村、金田村 → 川之江市 |
現在の自治体 | 四国中央市 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 四国地方 |
都道府県 | 愛媛県 |
郡 | 宇摩郡 |
市町村コード | なし(導入前に廃止) |
隣接自治体 | 上分町、金生町、妻鳥村、松柏村、新宮村、金砂村 |
金田村役場 | |
所在地 | 愛媛県宇摩郡金田村大字金川 |
座標 | 北緯33度59分09秒 東経133度35分47秒 / 北緯33.98592度 東経133.59628度座標: 北緯33度59分09秒 東経133度35分47秒 / 北緯33.98592度 東経133.59628度 |
ウィキプロジェクト |
金田村(かなだむら)は、愛媛県の東予地方の宇摩郡にあった村。1954年(昭和29年)に川之江町、妻鳥村、上分町、金生町、川滝村との3町3村の合併、市制施行により川之江市となり、自治体としては消滅した。その後、川之江市は平成の大合併で四国中央市となり、現在に至っている。現在の四国中央市の中南部、法皇山脈の北麓に位置する。
地理
[編集]法皇山脈の南麓に位置する。農地と民家とが混在している。金生川の中流域。
- 河川
- 村内で西流する金生川と、支流で北流する三角寺川とが合流、北流している。
- 村名の由来
- 旧村のうち2字を合成してつけられた。半田の由来は、主に渡来人の「秦」によるものという説と、条里制に由来するものとの2説がある。
歴史
[編集]略史
[編集]古代
- 古墳がある。
江戸時代
めまぐるしく変遷を遂げている。
- はじめ松山藩領
- 1636年(寛永13年) - 一柳氏領
- 1643年(寛永20年) - 幕府領、松山藩預かり
- 1698年(元禄11年) - 金川は西条藩領。半田は今治藩領。三角寺村は大坂代官所の管理下におかれた。
- 嘉永年間以降 - 半田村平山で銅鉱山の試掘が成されたが、煙害を不安視した近隣村民が幾度か騒動を起こし、結局開坑は中止された。
- 1868年(慶応4年)1月 - 川之江陣屋を高知藩が占領。
明治以降
- 明治20年代 - 葉タバコの生産始まる
- 1890年(明治23年) - 金田尋常小学校開設
- 1902年(明治35年) - 阿波国への国道(現在の国道192号)開通
- 明治末期から大正年間にかけて - 金川に明治時代末に、半田へは大正時代に入ってネーブルオレンジが導入される
- 大正時代初め - 電灯が普及した
- 1947年(昭和22年) - 金田小学校、金田中学校開設
村の沿革
[編集]- 1889年(明治22年)12月15日 - 町村制施行に伴い、金川(かながわ)村、半田(はんだ)村、三角寺(さんかくじ)村の区域をもって、宇摩郡金田村(かなだむら)が発足する。
- 1954年(昭和29年)11月1日 - 川之江町、妻鳥村、上分町、金生町、金田村及び川滝村が合併し、川之江市が発足する。
金田村の系譜 (町村制実施以前の村) (明治期) (昭和の合併) (平成の合併) 町村制施行時 半田 ━━━━┓ 金川 ━━━━╋━━金田村━━━━━━━━━━━┓ 三角寺 ━━━━┛ ┃昭和29年11月1日 あ え ┃合併・市制施行 川之江村━川之江町━┳━━━╋川之江市━┓ 二名村━━━━━━━┛ ┃ ┃ 妻鳥村━━━━━━━━━━━┫ ┃ い ┃ ┃ 上分村━━━━上分町━━━━┫ ┃ う ┃ ┃ 金生村━━━━━━金生町━━┫ ┃ 川滝村━━━━━━━━━━━┛ ┃ ┃平成16年4月1日 ┃新設合併 ┣四国中央市 伊予三島市━━━━━━┫ 新宮村━━━━━━━━┫ 土居町━━━━━━━━┛ あ – 明治31年12月21日 川之江村が町制施行、川之江町に い – 大正2年1月1日 上分村が町制施行し、上分町に う – 昭和23年4月1日 金生村が町制施行し、金生町に え – 昭和29年3月31日 川之江町が二名村を編入 (注記)金田村以外の合併以前の系譜はそれぞれの市町村の記事を参照のこと。
地域
[編集]明治の合併前の旧3箇村がそのまま大字となった。
- 半田(はんだ)、金川(かながわ)、三角寺(さんかくじ)
昭和の合併により川之江市になってから、「金田町」を冠する。
- 例 川之江市金田町半田
平成の合併により四国中央市になってからは、「川之江市」を「四国中央市」に読み替える。
- 例 四国中央市金田町半田
産業
[編集]山麓の丘陵地が大半であり、明治時代後半から葉タバコの、その後柑橘の栽培が導入された。