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金谷 経氏(かなや つねうじ)は、南北朝時代の武将。
金谷氏は上野国新田郡金谷発祥の新田義貞の一族。南朝方に属し、播磨丹生山城を拠点とした。のち同族の脇屋義助に従い伊予に赴く[1]。観応2年/正平6年(1351年)9月7日、山城の石清水八幡宮を攻めるが敗れて自刃した[1]。