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金載瑋

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

金 載瑋(キム・ジェウィ、朝鮮語: 김재위1921年8月23日 - 2009年2月25日)は、大韓民国実業家政治家民主化運動家。第4・6代韓国国会議員、大韓石油協会朝鮮語版会長などを歴任した[1]

本貫慶州金氏円仏教の信者[1]

経歴

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日本統治時代の慶尚南道山清郡出身。 光州西中学校(現・光州第一高等学校朝鮮語版)、延禧専門学校(現・延世大学校)商科卒。朝鮮殖産銀行勤務を経て、大韓オリンピック委員会監事、大韓体育会理事、忠清南道文化係長、文教部体育課長、ヘルシンキオリンピックスポーツ研究調査委員、国際スポーツ会議韓国代表、大韓石油協会会長、第一企業会長、興国海運会社社長、東亜建設会長、興国商事社長、全国経済人連合会理事・監事、南漢江開発社長を歴任した。政界では1958年の第4代総選挙では自由党の候補として山清郡選挙区から当選したほか、1965年の韓日会談批准波乱で金度演が議員を辞職した後、その後継者として自由民主党所属の第6代国会議員となり、その後は民衆党中央常任委員を務めた[1][2]。また、1974年に維新体制を批判したため、緊急措置朝鮮語版4号違反として懲役10年を宣告されたなど、投獄を2回も経験した。2003年に民主化補償審議委員会により民主化運動家として認定された[3]。他は大韓民国憲政会朝鮮語版委員、民主化闘争政治犯同志会常任顧問を歴任した[1]

2009年2月25日、老衰により死去。享年89[4][3]

脚注

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  1. ^ a b c d 대한민국헌정회”. www.rokps.or.kr. 2024年12月19日閲覧。
  2. ^ 근현대인물자료 < 한국 근대 사료 DB”. db.history.go.kr. 2024年12月19日閲覧。
  3. ^ a b [부고]김재위 前 국회의원 별세” (朝鮮語). 동아일보 (2009年2月26日). 2024年12月19日閲覧。
  4. ^ [부음] 김재위 전 국회의원 별세 외” (朝鮮語). 조선일보 (2009年2月26日). 2024年12月19日閲覧。