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金顕基

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

金 顕基(キム・ヒョンギ、朝鮮語: 김현기/金顯基1924年 - 1979年8月15日)は、大韓民国教員実業家政治家。第7・8・9・10代韓国国会議員[1]

経歴

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全羅北道益山に生まれた[2]。中央中学校、中央高等学校を経て1947年にソウル大学校商科大学を卒業した。裡里農林高等学校で教師を務めながら、月刊「人物界」を創刊した[2]。そのほか韓国殖産銀行(現・韓国産業銀行)にも勤務した[1]

1952年に民主党の発起人の一人として名を連ねて政界入りした後、1966年に新民党監察委員および中央常任委員、1973年に同党政務委員、1976年に同党中央党党紀委員長などを歴任し、新民党の運営を主導した。また、1967年の第7代総選挙全国区から国会議員に当選して以降、連続4回当選した[2]。他には民政党大統領および国会議員選挙会計責任者、新民党全北道党委員長や全北第2・3地区党委員長などを務めた[1]

1979年の第10代国会議員在任中に持病が悪化し、肝硬変により55歳で死去した[3]

評価・反応

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経済に精通した政治家として知られ、死去に際して千命基は『経済通を失った』と媒体に話している[4]

脚注

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  1. ^ a b c 대한민국헌정회”. rokps.or.kr. 2023年5月2日閲覧。
  2. ^ a b c 김현기(金顯基)” (朝鮮語). 韓国民族文化大百科事典. 2023年5月6日閲覧。
  3. ^ 持病(지병)악화 金顯基(김현기)의원 別世(별세)”. NAVER Newslibrary. 경향신문 (1979年8月15日). 2023年5月2日閲覧。
  4. ^ 金顯基(김현기)의원 別世(별세)소식에"또 經濟通(경제통) 잃었다"”. NAVER Newslibrary. 조선일보 (1979年8月16日). 2023年5月2日閲覧。