釜山高等水産学校
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釜山高等水産学校 (ふざんこうとうすいさんがっこう) は、1941年 (昭和16年)、日本統治時代の朝鮮釜山府に設立された旧制専門学校。
概要
[編集]- 朝鮮半島の水産業発展のために、内地の函館に次いで設立された水産専門学校。
- 教科内容は水産講習所 (東京) に倣い、本科 (修業年限4年) に漁撈学科・製造学科・養殖学科の 3科を設置した。
- 第二次世界大戦中の1944年、釜山水産専門学校と改称された。
- 1945年、日本の敗戦・内地への引揚げにより閉校となり、生徒は水産講習所下関分所 (現・水産大学校) に転入した。旧校舎・校地は米軍による接収を経て、(大韓民国) 国立釜山水産大学 (現・釜慶大学校大淵キャンパス) となった。
- 同窓会は 「滄溟会」 と称し、水産大学校など日本側の後身諸校出身者と合同の会である。
沿革
[編集]釜山高等水産学校時代
[編集]1936年から1938年にかけて、朝鮮半島はイワシの豊漁で漁業が活気づいていた。一方、半島内の公立水産学校は、普通学校卒業者対象・修業年限2~3年程度のものが数校存在するのみであった。朝鮮総督府殖産局水産課の主任技師 北野退蔵は、朝鮮の漁業発展のためには水産指導者の育成が必要であると説き、東京の水産講習所 (現・東京海洋大学) に類する教育機関の設置を訴えた。これに応えて、清津・元山の関係者が 「東海地区高等水産学校設立期成会」 を結成、その後、釜山地区でも高等水産学校期成会が結成された。結局、釜山水産 (株) からの寄附金50万円・一般からの寄附金100万円を集めた釜山に高等水産学校が設立されることになった。清津には、1940年に5年制 (甲種) 水産学校が設置された。
- 1939年夏: 朝鮮総督府、高等水産学校設立準備委員会を設置。
- 1941年1月: 学校設立委員会を設置。
- 1941年3月28日: 朝鮮総督府諸学校官制中改正により釜山高等水産学校設置 (勅令第281号)。
- 1941年4月1日: 釜山高等水産学校規程公布 (朝鮮総督府令第97号)。
- 本科 (修業年限4年) に漁撈学科・製造学科・養殖学科を設置。
- 1941年5月13日: 仮寄宿舎を開設 (釜山府谷町2丁目、日本水産所有家屋)。全寮制。
- 1941年5月15日: 開校式・第1回入学式。
- 漁撈21名・製造22名・養殖9名。
- 1941年6月11日: 授業開始。
- 1942年4月: 寮第1棟竣工 (第2棟は1943年1月竣工)。
- 1944年1月4日: 規程改正 (朝鮮総督府令第5号)。
- 学科名を漁撈科・製造科・養殖科と改称 (養殖科はのちに漁業増殖科と改称)。
- 1944年2月11日: 大東亜水産研究所を設置。
- 実際には活動できず。
釜山水産専門学校時代
[編集]- 1944年4月6日: 釜山水産専門学校と改称 (勅令第236号)。
- 1944年8月: 講堂完成。
- 1944年9月17日: 練習船 「耕洋丸」 完成、鳥取から回航。
- 1944年9月30日: 第1期生卒業。
- 戦時措置により半年繰上卒業。
- 1945年3月: 釜山-麗水間で実習航海。
- 耕洋丸による実習航海はこのときのみ。
- 1945年4月: 遠洋漁業科 (5年制) を設置。
- 遠洋漁業科入学者は海軍予備員として扱われた。
- 1945年8月15日: 第二次世界大戦敗戦により学校解散。
後史
[編集]- 1945年8月30日: 耕洋丸で第1回引揚げ。
- 釜山-萩間で輸送を実施。10月1日、第3便で引揚げ完了。
- 耕洋丸は引揚げ完了後 韓国側に引き渡されたが、その後消息不明となった。
- 1945年9月: アメリカ軍進駐。
- 1945年9月30日: 第2期生・第3期生、繰上卒業。
- 1945年10月: 校舎・校地が韓国政府に接収される。
- のちに 「国立釜山水産大学」 (現・釜慶大学校) となる。
- 1945年12月1日: 第4期生・第5期生、水産講習所へ転入学許可。
- 1946年5月5日: 農林省、水産講習所下関分所を設置。
以後の歴史は、水産大学校を参照のこと。
歴代校長
[編集]- 初代: 田中耕之助 (1941年5月 - 1946年5月)
校地
[編集]校地は釜山府大淵洞 (現・大韓民国釜山広域市南区大淵洞) に位置した。現在は釜慶大学校大淵 (デヨン) キャンパスとなっている。
関連項目
[編集]- 旧外地の高等教育機関
- 日本統治時代の朝鮮の高等教育機関
- 旧制専門学校
- 水産大学校 - 日本側の後身校
- 釜慶大学校 - 韓国側の後身校
関連書籍
[編集]- 水産大学校五十年史編集部会(編) 『水産大学校五十年史』 水産大学校、1991年1月。