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鈴木敏子

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

鈴木敏子(すずき としこ、1924年 - )は、元多磨全生園教師。

略歴

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福島県生れ。1940年県立福島高等女学校卒。1942年県立福島女子師範学校二部卒。1960年-1976年国立療養所多磨全生園、全生園分教室小学校勤務。日本文学協会会員として、各部会に出席、機関誌「日本文学」に論文等を発表[1]。1972年宮原昭夫の小説「誰かが触った」が鈴木の協力を仰いでなったことに対して「朝日新聞」が盗作を匂わせるキャンペーンを張った[2]

著書

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  • 『らい学級の記録 えせヒューマニズムとのたたかい』明治図書 教育問題新書 1963
  • 『鏡のむこうの子どもたち 訪問学級のなかから』創樹社 1984
  • 『書かれなくともよかった記録 「らい病」だった子らとの十六年』私家版 2000
  • 『「らい学級の記録」再考』学文社 2004
  • 『ある戦中派の軌跡』学文社 2006

脚注

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  1. ^ 『ある戦中派の軌跡』著者紹介
  2. ^ 栗原裕一郎『<盗作>の文学史』新曜社、宮原昭夫『しょんべんカーブ』