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鈴木銃太郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

鈴木 銃太郎(すずき じゅうたろう、1856年4月21日(安政3年3月17日) - 1926年(大正15年)6月30日)は、クリスチャン北海道開拓者である。[1]

1856年(安政3年)に上田藩鈴木親長の長男として生まれる。1874年明治7年)7月に父と共にデイヴィッド・タムソンから洗礼を受ける。タムソン塾ワデル塾東京一致神学校で学び、1879年に教師試補(伝道師)の准允を受けたが、1880年の按手礼試験には不合格になり、中会の承認を得て埼玉県和戸教会の初代牧師に赴任する[2]。しかし、1881年(明治14年)に「嫌疑の風聞」ありと信徒から訴えられ、牧師を罷免された[2]

その後、依田一族による結成された北海道開拓団晩成社の幹部として、1882年(明治15年)依田勉三と共に地選定調査旅行に随行し、帯広の原野で越冬、現地のアイヌと親交を結んだ。[3]1883年(明治16年)5月に晩成社の移民団を迎え入れた。アイヌ人の食料援助をし、妹カネの夫渡辺勝と共にアイヌの農業指導を札幌権県に進言した。

1886年(明治19年)5月、シブサラ「(現在の芽室町西土狩)のアイヌ民族のサンケモッテの娘のコカトアンと結婚。[4][5]1888年(明治21年)5月、晩成社幹事を辞任。[3]1889年(明治21年)3月頃、晩成社移民高橋利八と共に、シブサラに新天地を求め新たに入植した。[3]

脚注

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  1. ^ 井上壽 「十勝開拓の先駆者 依田勉三と晩成社」 2012年3月15日 p.34~35
  2. ^ a b 和戸教会設立前後の状況横浜プロテスタント史研究会報45号、2009年11月20日 
  3. ^ a b c 十勝文化会議 「十勝晩成会解散記念誌 依田勉三・晩成社の研究」 平成28年6月 p.77
  4. ^ 十勝文化会議 「十勝晩成会解散記念誌 依田勉三・晩成社の研究」 平成28年6月 p.77、p.81
  5. ^ 井上壽 「十勝開拓の先駆者 依田勉三と晩成社」 2012年3月15日 p.145

参考文献

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