銀杏岡八幡神社
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銀杏岡八幡神社 | |
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銀杏岡八幡神社拝殿 | |
所在地 | 東京都台東区浅草橋1-29-11 |
位置 | 北緯35度41分53.0秒 東経139度47分8.6秒 / 北緯35.698056度 東経139.785722度座標: 北緯35度41分53.0秒 東経139度47分8.6秒 / 北緯35.698056度 東経139.785722度 |
主祭神 | 誉田別皇命、武内宿祢命 |
社格等 | 村社 |
創建 | 康平5年(1062年) |
銀杏岡八幡神社(いちょうがおかはちまんじんじゃ)は、東京都台東区の神社。
歴史
[編集]1062年(康平5年)に創建された。源義家が前九年の役で出征する途上、当地で休憩のため陣を敷いた。すると川上から銀杏の枝が流れ着いた。義家は「朝敵退治のあかつきには枝葉栄うべし」と戦勝祈願し、その枝を丘の上にさした。そして戦争に勝利し、帰還の途上で当地に立ち寄ると木が茂っていたので、義家は神恩に感謝して八幡神を勧請した。これが当社の起源であり、社名の由来でもある[1]。
ちなみに、この銀杏の木はやがて大木となり、旅人の目印にもなった。しかし1745年(延享2年)の台風で上半分が折れ、1808年(文化3年)の文化の大火で完全に焼失してしまい、現存していない[2]。
江戸時代前半は、福井藩越前松平家の江戸屋敷の敷地内にあり、屋敷神となっていたが、1725年(享保10年)に幕府によって接収された。旧屋敷跡地は「福井町」と称する町人地となり、福井町住民が当社の氏子となった[2]。
氏子区域は台東区浅草橋1丁目2~6、9~36、浅草橋2丁目1、3~7、9~13、15~19。なお、1丁目9、10、17、18、30、2丁目1、12、13はその一部が氏子区域である。[3]
八幡ラジオ体操会
[編集]境内では、年中無休でラジオ体操が行われている。主催者は「八幡ラジオ体操会」で、昭和初期のラジオ体操が始まったころから続けられている[2]。
交通アクセス
[編集]- 浅草橋駅より徒歩1分。
写真
[編集]脚注
[編集]参考文献
[編集]- 東京都神社庁 編『東京都神社名鑑 上巻』東京都神社庁、1986年