本興寺 (鎌倉市)
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本興寺 | |
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辻の本興寺、左門前は辻説法跡記念碑 | |
所在地 | 神奈川県鎌倉市大町2-5-32 |
位置 | 北緯35度18分46.32秒 東経139度33分14.38秒 / 北緯35.3128667度 東経139.5539944度 |
山号 | 法華山[1] |
宗派 | 日蓮宗 |
本尊 | 三宝本尊 |
創建年 | 延元元年(1336年) |
開基 | 天目 |
中興年 | 寛文10年(1670年) |
中興 | 日逞[1] |
正式名 | 法華山本興寺 |
別称 | 辻の本興寺 |
法人番号 | 6021005001967 |
本興寺(ほんこうじ)は、神奈川県鎌倉市大町にある日蓮宗寺院。山号は法華山。旧本山は比企谷妙本寺。池上・大坊法縁。
沿革
[編集]- 日蓮上人の鎌倉辻説法の由緒地(現:鎌倉市大町)に、延元元年(1336年)、日蓮の門弟「九老僧」の一人天目が休息山本興寺を建立した。永徳2年(1382年)、日什が2世となり、山号を法華山と改める。 「辻の本興寺」とよばれる。
- 慶長13年(1608年)、本興寺27世から妙満寺27世となった日経が不受不施を説いたため、江戸幕府によって京都六条河原で耳・鼻削ぎの刑に処せられ、関連寺院は取り潰された。これを慶長の法難という。
- その10年後の寛文10年(1670年)、比企谷妙本寺歴代照幡院日逞が辻説法旧地の衰退を嘆き、寺門の復興を願い、徳川家より寺領の寄付を受け、辻の旧地に本興寺を再興した。妙本寺末寺となって現在に至っている。
摘要
[編集]- この辺りの旧町名(大町の魚町橋・逆川橋から材木座の「元八幡」辺りまで)を「辻町」という。これは、「車大路」と「小町大路」との辻(交差点・四つ角)があったためであり、「辻の本興寺」、「辻の薬師堂」等の名称に、往時が偲ばれる。
- 本興寺門前に辻説法跡の記念碑が建てられている(このほか、小町2丁目にも同碑がある)。
- 朱色の山門を抜けると、見事な「百日紅」と「しだれ桜」、イチョウの古木が迎えてくれる。
- 境内に、「聖徳太子堂」がある。
- 寺宝に「日蓮聖人坐像」(背後に、左に釈迦牟尼佛・右に多宝如来像)、「天目上人像」がある。
交通アクセス
[編集]- 鎌倉駅東口から本覚寺、妙本寺前を南へ小町大路(小路)を下り、大町四つ角、魚町橋を越えて、横須賀線三浦路踏み切り手前左に山門がある。駅から徒歩約10分。辻の薬師堂とは小町小路を挟んで向かい合わせに位置する。
注釈
[編集]- ^ a b 新編相模国風土記稿 大町村 本興寺.
参考文献
[編集]- 鎌倉市教育委員会『かまくら子ども風土記上』
- 「山之内庄大町村本興寺」『大日本地誌大系』 第39巻新編相模国風土記稿4巻之87村里部鎌倉郡巻之19、雄山閣、1932年8月、292頁。NDLJP:1179229/152。