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長善寺 (名古屋市)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
長善寺
長善寺本堂
(2021年(令和3年)6月) 地図
所在地 愛知県名古屋市西区上小田井1丁目259番地
位置 北緯35度12分55.6秒 東経136度52分46.0秒 / 北緯35.215444度 東経136.879444度 / 35.215444; 136.879444座標: 北緯35度12分55.6秒 東経136度52分46.0秒 / 北緯35.215444度 東経136.879444度 / 35.215444; 136.879444
山号 放光山
宗旨 浄土真宗
宗派 真宗大谷派
本尊 阿弥陀如来木像
創建年 天文8年(1539年)
開基 顕了
法人番号 2180005001032
長善寺 (名古屋市)の位置(愛知県内)
長善寺 (名古屋市)
長善寺 (名古屋市)の位置(名古屋市内)
長善寺 (名古屋市)
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長善寺(ちょうぜんじ)は、愛知県名古屋市西区上小田井にある真宗大谷派寺院

歴史

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後述のとおり長善寺に残っていた資料等の多くは太平洋戦争で焼失してしまったことから、同寺院の成立時期を示す明らかな資料は残っていない[1]が、1668年寛文8年)に尾張国中島郡起村の林久兵衛が長善寺に梵鐘を寄進したことが、林家に残る文書から確認できる(長善寺寄進梵鐘碑文)[2]。 また、尾張藩による村勢調査である『寛文村々覚書』には、長善寺が上小田井村にあり、東本願寺の直末寺だったことが確認できるため、少なくとも寛文期には同寺が存在したことは間違いないと考えられる。

一方、江戸時代後半に成立した地誌『尾張徇行記』によると、織田信秀信長の重臣・林秀貞(文書上は軍記物等で見られる「通勝」)の弟・新九郎が1538年天文9年)に上小田井村に心養坊という建物を建立したことに始まるという。また、林家の系図によると、新九郎の三代子孫にあたる祐春の弟長太郎が尾張国起村に別家し、久兵衛はその子孫であるといい、これについては、研究者の林英夫は長善寺に林家三代の墓があったことなどから間違いないとみなしている[3]

上小田井の寺院としては長善寺に加えて法源寺がある[4]。真宗の檀家では大きな行事として報恩講があり、長善寺では毎年11月に「ホンコサマ」という呼称で行っている[5]

佐々成政

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『西春日井郡誌』によれば、地域に残る口伝として、長善寺はかつて比良村(現・名古屋市西区比良)にあり、佐々成政菩提寺であったが、洪水の影響で現在地に移築したという[6]

高田太郎庵

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高田太郎庵の墓石

境内に高田太郎庵の墓がある[7]。高田太郎庵は、1683年元和3年)生まれ、1763年宝暦13年)没。天和年間に活躍した茶道の達人として知られる[8]。 

通称は薮下屋太兵衛と称し、名は栄治[7][9]呉服商であった[7]。茶事を好み、教えを受ける者が極めて多かった[9]。老後は閑居の地から20余年一歩も門外に出なかったと言われている[7]

境内

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長善寺(境内図)
  • 本堂
    安政4年(1857年)または文久2年(1862年)頃に建立されたとされる[1]
  • 書院
    1911年(明治44年)の親鸞聖人650回大遠忌法要以後に再建された[1]
  • 庫裡
    1911年(明治44年)の親鸞聖人650回大遠忌法要以後に再建された[1]
  • 鐘楼
    1911年(明治44年)の親鸞聖人650回大遠忌法要以後に再建された[1]
  • 玄関
    明治以前から存続している建物としては本堂と玄関のみとされる[1]
  • 墓地
    茶人である高田太郎庵の墓石がある[1]

本尊・寺宝

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長善寺の本尊は阿弥陀如来木像であり、その他にいくつかの寺宝を有している。太平洋戦争中には疎開させていた寺宝・什物・古文書などを焼失している[1]

  • 方便法身尊形(現存せず)
    天文8年(1539年)に下付され、同年に顕了が心養坊を創建した[1]
  • 親鸞聖人御影(寺宝)
    慶長9年(1604年)に下付された[1]
  • 阿弥陀如来木像(本尊)
    正保4年(1647年)に下付され、同年に心養坊から長善寺という寺号に改めた[1]
  • 蓮如上人御影(寺宝)
    正保4年(1647年)に下付された[1]
  • 聖徳太子御影(寺宝)
    承応2年(1652年)に下付された[1]

社会活動

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寺へのお供え菓子を仏からの授かり物ととらえ、経済的に困窮する家庭への支援としてお裾分けを行う活動「おてらおやつクラブ」に参加している[10][11][12]2017年平成29年)に住職に着任した蒲池卓巳によれば、長善寺では2カ月に1度の頻度で、近隣住民のボランティアらとともに取組に参加している。

山田地区ではコミュニティセンターと2つの寺院を会場として、子ども食堂「やまだっ子亭」が行われている[13]。2018年5月11日には初めて長善寺で「やまだっ子亭」が行われた[13]

現地情報

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所在地

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アクセス

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脚注

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  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n 蒲池勢至「長善寺」山田学区自治会資料、1987年
  2. ^ 一宮市尾西歴史民俗資料館編『美濃路起宿と脇本陣林家』一宮市尾西歴史民俗資料館、2017年、p.18
  3. ^ 『尾西市史』資料編4
  4. ^ 新修名古屋市史資料編編集委員会『新修名古屋市史 資料編 民俗』名古屋市、2009年、p.914
  5. ^ 新修名古屋市史資料編編集委員会『新修名古屋市史 第九巻 民俗編』名古屋市、2001年、pp.644-645
  6. ^ 愛知県西春日井郡 (2002年2月15日). 西春日井郡誌(復刻版). 愛知県西春日井郡 
  7. ^ a b c d 熊沢五六『尾張の茶道』河原書店、1972年、174頁。 
  8. ^ 名古屋市教育委員会『名古屋の史跡と文化財』泰文堂、1970年、66頁。 
  9. ^ a b 名古屋市教育委員会『名古屋の史跡と文化財』泰文堂、1970年、179頁。 
  10. ^ 名古屋市千種区の「ちくさこども食堂」さんから、おやつが届いたとの報告をいただきました! おてらおやつクラブ公式facebook、2016年2月3日
  11. ^ 長善寺公式facebook
  12. ^ 福井新聞 (2016年9月13日). “「寺の供え物をおすそ分け」僧侶たちの思い 福井県越前市の長慶寺でも始まる”. 東洋経済ONLINE. https://toyokeizai.net/articles/-/135685 2019年2月9日閲覧。 
  13. ^ a b 子ども食堂「やまだっ子亭」が開催されました 長善寺、2018年5月17日
  14. ^ a b c 長善寺アクセス”. NAVITAIME. 2019年2月9日閲覧。

参考文献

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  • 名古屋市教育委員会『名古屋の史跡と文化財』名古屋市教育委員会、1970年。全国書誌番号:73004441 
  • 尾西市史編さん委員会『尾西市史 資料編 4』尾西市史編さん委員会、1989年。全国書誌番号:89044713 

外部リンク

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