長尾一勝
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時代 | 戦国時代 - 江戸時代初期 |
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生誕 | 天文19年(1550年) |
死没 | 元和4年11月29日(1619年1月14日) |
改名 | 山路久之丞→長尾一勝 |
別名 | 山路種常、長尾種常、通称:勘兵衛 |
官位 | 隼人正、隼人佐 |
主君 | 神戸具盛→福島正則 |
氏族 | 山路氏→長尾氏 |
父母 | 父:山路正幽 |
兄弟 | 山路弾正、山路正国、一勝 |
子 | 勝行(長尾出羽)、一在(長尾勘兵衛) |
長尾 一勝(ながお かずかつ)は、安土桃山時代から江戸時代前期にかけての武将。神戸氏、後に福島正則の家臣。福島家三家老の一人と称された。
生涯
[編集]天文19年(1550年)、神戸四百八十人衆の一人・山路正幽の子として誕生。伊勢国河曲郡出身で、父・正幽と共に伊勢の国人領主・神戸具盛に仕えて、伊勢高岡城主となった。
その後、浪人して福島正則に仕えた。天正18年(1590年)の小田原征伐では、正則の家臣として出陣し、北条氏規が籠もる韮山城攻めで城壁に3度よじ登り城内から3度突き落とされて負傷した。
慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いの後、福島正則が安芸国に入ると、備後国東城五品嶽城主となった。慶長19年(1614年)から始まる大坂の陣でも活躍した。