長尾良吉
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長尾 良吉(ながお りょうきち、1870年11月19日(明治3年10月26日)- 1937年(昭和12年)1月22日)は、日本の経営者。鐘淵紡績社長を務めた。
来歴・人物
[編集]兵庫県出身[1]。1885年に府立大阪中学校(現大阪府立北野高等学校)初等中等科を卒業[2]。1891年に高等商業学校(現一橋大学)本科を卒業[3][1]。県立神戸商業学校教諭を経て[4]、1895年に同校長事務取扱となる[5]。
内外綿神戸出張所長[6]、孟買出張所主任/副支配人を経て[7]、1900年に鐘淵紡績に入社[1]。1916年取締役[8]。1922年には平生釟三郎の甲南高等学校(現甲南大学)設立を支援[9]。1925年常務取締役。1928年副社長[8]。1930年に社長に就任[10]。
1933年川崎造船所取締役[11]、本山村会議員[12]。日本綿業倶楽部理事在任中の1937年、胃癌のため兵庫県武庫郡本山村(現神戸市)岡本の自宅で死去[13]。なお、自宅はヘボソ塚古墳の跡地にあった[14]。
親族
[編集]養子の譲次郎は小原駩吉男爵の次男。長女・美代は譲次郎の妻。弟の長尾彦作は[12]、メキシコのマサトランで1914年に食料雑貨店・長尾商会を設立し、1931年に帰郷した[15]。
脚注
[編集]- ^ a b c 20世紀日本人名事典 2004.
- ^ 官報 1885年01月17日
- ^ 高等商業学校第二回卒業証書授与式顛末高等商業学校出版年月日明25.12
- ^ 兵庫県官民職員録
- ^ 兵庫県立第一神戸商業学校 編六十年史兵庫県立第一神戸商業学校, 昭13
- ^ 日本全国諸会社役員録 明治31年
- ^ 日本全国諸会社役員録 明治32年
- ^ a b 米川伸一戦前期三大紡績企業における学卒職員 : 設問・資料提示・解説の形式で一橋大学一橋学会
- ^ 甲南大学の恩人甲南大学
- ^ 日外アソシエーツ株式会社 2004.
- ^ (株)川崎造船所『川崎造船所四十年史』(2003.10)
- ^ a b 財界二千五百人集財界二千五百人集編纂部 昭和9
- ^ 綿業時報 5(2) 雑誌 (日本綿業倶楽部, 1937-02)
- ^ 神社と史蹟
- ^ キューバ移民の遺言移民史講座
参考文献
[編集]- 20世紀日本人名事典『長尾 良吉』日外アソシエーツ株式会社、2004年 。
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