長尾駿郎
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長尾 駿郎(ながお としろう[1]、1866年4月13日(慶応2年2月28日[2][3]) - 1918年(大正7年)2月17日[2][3])は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。旧姓・浅井。
経歴
[編集]紀伊国(現和歌山県)出身[2][3][4]。浅井右馬之丞の二男として生まれ、長尾勝賦の養子となる[2]。1889年(明治22年)7月、陸軍士官学校(旧11期)を卒業して[3]、砲兵少尉に任官し野砲兵第4連隊付となる[1][2][5]。1893年(明治26年)11月、陸軍砲工学校を卒業[2]。
1895年(明治28年)4月から12月まで日清戦争に出征[2]。この間、同年10月、砲兵大尉に昇進し[1]、野砲兵第4連隊中隊長に就任した[2]。1901年(明治34年)2月、ドイツ駐在となり、1902年(明治35年)4月、砲兵少佐に進級した[1][2]。1904年(明治37年)3月、参謀本部付(スウェーデン駐在)となり、1905年(明治38年)5月、砲兵中佐に進んだ[1][2]。同年12月に帰国した[2]。陸軍野戦砲兵射撃学校教官を経て、1910年(明治43年)3月、野砲兵第15連隊長に就任[6][注 1]。1911年(明治44年)9月、砲兵大佐に昇進[1][2][4]。
1911年10月、教育総監部庶務課長に転じた[1][2][4]。1913年(大正2年)8月、野戦砲兵射撃学校長に就任[2][4]。1916年(大正5年)8月、陸軍少将に進級し野砲兵第2旅団長に就任したが、1918年(大正7年)2月に死去した[2][3][4]。
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]参考文献
[編集]- 陸軍省編『陸軍現役将校同相当官実役停年名簿 明治45年7月1日調』川流堂、1912年。
- 外山操編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。
- 福川秀樹『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。
- 秦郁彦編『日本陸海軍総合事典』第2版、東京大学出版会、2005年。