長屋就安
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時代 | 戦国時代 - 安土桃山時代 |
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生誕 | 天文8年(1539年) |
死没 | 天正16年5月17日(1588年6月10日) |
別名 | 通称:小三郎、縫殿助 |
主君 | 毛利元就→輝元 |
氏族 | 大江姓毛利氏庶流長屋氏 |
父母 |
父:長屋元忠 養父:長屋元安 |
子 | 元和 |
長屋 就安(ながや なりやす)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。毛利氏家臣。
生涯
[編集]天文8年(1539年)、毛利氏家臣・長屋吉親の子である長屋元忠の次男として生まれる。父・元忠の従兄弟である長屋元安が実子の無いまま死去したため、就安が元安の養子として家督を相続した。
就安は毛利元就に付き従って各地を転戦し、第二次月山富田城の戦いでは出雲国森山城の守備についた。
元就の死後は輝元に仕え、天正16年(1588年)5月17日に死去。享年50。子の元和が後を継いだ。
参考文献
[編集]- 『萩藩閥閲録』巻82「長屋勘兵衛」