長山直政
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時代 | 江戸時代 |
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生誕 | 慶長19年(1614年) |
死没 | 延宝4年7月23日(1676年9月1日) |
幕府 | 江戸幕府 |
氏族 | 長山氏 |
父母 | 父:長山道直、母:山本若狭守の娘、養母:長山こほ |
子 | 直利、直仍、直次、女子(小普請組酒井能登守組之内・白井源之丞の妻)、女子(御勘定・岩出与左衛門の妻) |
長山 直政(ながやま なおまさ、慶長19年(1614年)- 延宝4年7月23日(1676年9月1日))は、江戸時代前期の日本の武士、旗本。通称は久右衛門[1]。
略歴
[編集]慶長19年に加賀国に生まれる。父は加賀藩前田家の家臣・長山道直、母は加賀国金沢の石浦城主・山本若狭守の娘。後に実姉・長山こほの養子となる[1]。
万治3年(1660年)、神田御殿において徳川綱吉に召し出され、御目見をした。2百俵を下され、御小姓組の朝比奈内記組に御番入りした[1]。
寛文9年(1669年)1月14日に小石川御殿御留守居役を命じられる[1]。
延宝4年(1676年)7月23日に病死、享年63。法名は長照院釈道栄[1]。