長山祐一郎
表示
この記事の主題はウィキペディアにおける独立記事作成の目安を満たしていないおそれがあります。 (2022年12月) |
時代 | 江戸時代、明治時代 |
---|---|
幕府 | 江戸幕府 |
氏族 | 長山氏 |
父母 | 父:長山直候 |
妻 | 浅野次郎⼋の娘 |
長山 佑一郎(ながやま ゆういちろう)は、幕末期の日本の武士(幕臣)、旗本。通称は鑑太郎とも。禄高1350石。
略歴
[編集]旗本・長山直候の実子として生まれる。安政6年(1859年)に江戸城四季之間にて徳川家茂に御目見し、父から家督を相続する[1]。
慶応2年12月晦日(1867年2月4日)に陸軍奉行並支配から歩兵差図役頭取になる[2]。
明治維新後、静岡藩主となった徳川宗家16代家達にしたがって静岡に移り、同藩士となる[3]。明治2年(1872年)に府中奉行支配割付となり[4]、同年二等勤番となった[5]。