長島勤
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長島 勤 | |
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生誕 |
1888年2月29日 日本 埼玉県 |
死没 | 1960年6月18日(72歳没) |
所属組織 | 大日本帝国陸軍 |
軍歴 | 1910年 - 1945年 |
最終階級 | 陸軍少将 |
長島 勤(ながしま きん、1888年(明治21年)2月29日[1] - 1960年(昭和35年)6月18日[1])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。
経歴
[編集]1888年(明治21年)に埼玉県で生まれた[1]。陸軍士官学校第22期卒業[1]。1937年(昭和12年)11月に陸軍歩兵大佐に進級し[2]、1938年(昭和13年)12月に蘇州特務機関長に就任し[2]、1939年(昭和14年)9月に第13軍司令部附となった[2]。1940年(昭和15年)1月に豊橋連隊区司令官に転じた[2]。
1942年(昭和17年)4月15日に新規編制された歩兵第54旅団長(第12軍・第59師団)に就任し[1]、中国戦線に復帰[1]。同年8月1日に陸軍少将に進級[2]。北支では済南を根拠地として同地の防衛・治安維持に就いた[1]。その後第59師団は関東軍・第34軍隷下に編入され[1]、終戦時は咸興に位置した[1]。
戦後はシベリア抑留となる[3]。1948年(昭和23年)1月31日、公職追放仮指定を受けた[4]。1950年(昭和25年)7月に綏芬河でソ連から中華人民共和国に引き渡され、撫順戦犯管理所に収容された[3][5]。戦犯管理所では「学習反省」「認罪坦白」などを行い[6]、1956年(昭和31年)6月に開かれた瀋陽特別軍事法廷で懲役16年の判決を受けたが[7]、満期前の1959年(昭和34年)末に釈放された[7]。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 大澤武司 著『毛沢東の対日戦犯裁判 : 中国共産党の思惑と1526名の日本人』中央公論新社、2016年。ISBN 4121024060。
- 福川秀樹 編著『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。ISBN 4829502738。
- 外山操 編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。ISBN 4829500026。