長崎東照宮
表示
長崎東照宮 | |
---|---|
所在地 | 長崎県長崎市上西山町19 |
創建 | 1672年(寛文12年) |
本殿の様式 | 入母屋造 |
長崎東照宮(ながさきとうしょうぐう[注釈 1])は、長崎に勧請された東照宮。
鎮座地は長崎市上西山町。社殿は3間1戸の素木による入母屋造で、正面には石鳥居がある。境内の一角には、長崎県神社庁舎が建てられている[1]。
諏訪神社では宝暦年間から毎年正月に境内の井戸の若水を汲み、東照宮に奉納する神事が行われていた[1]。
歴史
[編集]寛文12年(1672年)正月16日夜半に、山鳴りや地動きがして、安禅寺の堂に日光が満ちて日輪のような形を現したという。翌13年(1673年)、その話を聞いた長崎奉行牛込忠左衛門が寺の上段に徳川将軍家の霊廟として東照宮を建立した。同年1月16日に着工し、同10月16日に竣工した[2][3]。
この後、東照宮は代々の長崎奉行や士庶の崇敬を受け、幕末に参拝した勝海舟が脇差を奉納した[4]。
東照宮の別当寺僧侶は、長崎の地役人たちと同様の扱いを受け、彼らと同じように受用銀[注釈 2]を配分されていた[5]。
明治元年に安禅寺が廃寺となった後、奉祀する社掌もなく社殿が荒廃したため、一時諏訪神社に合祀された。1897年(明治30年)に社殿が再建され、長崎地方官の高木忠悦が社掌に任じられた。1910年(同43年)、長崎総町集会が開かれ、御宮は東照宮神社として諏訪神社の末社となることが決まった[2][6]。
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]参考文献
[編集]- 下妻みどり編『川原慶賀の「日本」画帳 シーボルトの絵師が描く歳時記』弦書房 ISBN 978-4-86329-136-2 2016年
- 高藤晴俊『家康公と全国の東照宮 泰平と激動の時代を結ぶ東照宮めぐり』東京美術 ISBN 4-8087-0584-2 1992年
- 戸森麻衣子『江戸幕府の御家人』東京堂出版 ISBN 978-4-490-21056-9 2021年
- 永松実『長崎代官末次平蔵の研究 「闕所御拂帳」を中心に』宮帯出版社 ISBN 978-4-8016-0222-9 2021年
- 長崎県高等学校教育研究会 地歴公民部会歴史分科会編 『長崎県の歴史散歩』山川出版社 ISBN 978-4-634-24642-3 2005年
- 『長崎県の地名 日本歴史地名大系43』 平凡社 ISBN 4-582-49043-3 2001年