コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

長崎県中対馬病院

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
長崎県中対馬病院
情報
英語名称 Nagasaki Prefecture Nakatsushima Hospital
前身 鶏知衛戍病院
国立鶏知病院
国立対馬病院
長崎県離島医療圏組合中対馬病院
標榜診療科 内科
外科
整形外科
リウマチ科
皮膚科
循環器内科
理学診療科
人工透析
眼科
神経内科
脳外科
泌尿器科
耳鼻咽喉科
放射線科
小児科
許可病床数 139[1]
一般病床:90床
感染症病床:4床
結核病床:8床
療養病床:37床
機能評価 Ver6.0
開設者 長崎県病院企業団
管理者 村瀬邦彦(病院長)
開設年月日 1900年明治33年)
閉鎖年月日 2015年平成27年)5月
所在地
817-0322
長崎県対馬市美津島町鶏知甲1304-1
位置 北緯34度15分51.4秒 東経129度19分1.3秒 / 北緯34.264278度 東経129.317028度 / 34.264278; 129.317028
PJ 医療機関
テンプレートを表示

長崎県中対馬病院(ながさきけん なかつしまびょういん, Nagasaki Prefecture Nakatsushima Hospital)は、長崎県対馬市美津島町鶏知[2]にあった医療機関長崎県病院企業団が設置運営する病院であった。

2015年(平成27年)5月に長崎県対馬いづはら病院との統合で長崎県対馬病院が開院したことにより、中対馬病院は閉院した。

概要

[編集]
歴史
1900年明治33年)に設置された日本陸軍所管の「鶏知[2]衛戍病院」を前身とする。数回の移管・改称を経て2000年(平成12年)に「長崎県離島医療圏組合中対馬病院」となる。2009年平成21年)に長崎県離島医療圏組合が解散し、長崎県病院企業団が設立されたことにより、現在の名称に改称した。2015年(平成27年)5月17日には、同市にある長崎県対馬いづはら病院と統合され、「長崎県対馬病院」として開院した[3]
診療科
15科
病床数
139床[1](一般病床90、療養病床37、結核病床8、感染症病床4)
指定・認定
  • 日本整形外科学会専門医研修施設
  • へき地医療拠点病院
  • 二次救急輪番病院
  • 臨床研修協力施設 - 長崎大学医学部、福岡大学医学部等の学生を受け入れている。

沿革

[編集]
  • 1900年(明治33年) - 陸軍所管の「鶏知[2]衛戍病院」として創設される。
  • 1945年昭和20年)12月 - 厚生省に移管され、「国立鶏知[2]病院」となる。
  • 1956年(昭和31年)3月 - 「国立対馬病院」に改称。
  • 1980年(昭和55年)2月 - 二次救急輪番制を開始。
  • 1981年(昭和56年)4月 - 現在地に新築移転。
  • 2000年(平成12年)2月 - 厚生省から長崎県離島医療圏組合に経営移譲され、「長崎県離島医療圏組合中対馬病院」に改称。
  • 2003年(平成15年)4月 - へき地医療拠点病院に指定される。
  • 2004年(平成16年)4月 - 第二種感染症4床・作業療法室を増築。
  • 2005年(平成17年)
  • 2006年(平成18年)11月 - 臨床研修協力施設に認定される。
  • 2009年(平成21年)4月1日 - 長崎県離島医療圏組合の解散・長崎県病院企業団の設立により「長崎県中対馬病院」に改称。
  • 2015年(平成27年)5月17日 - 長崎県対馬いづはら病院との統合により対馬市美津島町鶏知乙1168番7に「長崎県対馬病院」が開院[3]
    • 中対馬病院跡地は、病棟が解体され更地となっている。

交通アクセス

[編集]

周辺

[編集]

脚注

[編集]
  1. ^ a b 2013年(平成25年)時点
  2. ^ a b c d 鶏知の読みは「けち」。
  3. ^ a b 長崎県対馬いづはら病院広報「いしやね」第4号(平成27年2月15日発行) (PDF) - 長崎県病院企業団ウェブサイト

参考資料

[編集]

関連項目

[編集]