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長昌寺 (前橋市)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
長昌寺
所在地 群馬県前橋市紅雲町1-9-14
位置 北緯36度23分7秒 東経139度3分39秒 / 北緯36.38528度 東経139.06083度 / 36.38528; 139.06083座標: 北緯36度23分7秒 東経139度3分39秒 / 北緯36.38528度 東経139.06083度 / 36.38528; 139.06083
山号 芳林山
院号 栄興院
宗派 曹洞宗
本尊 釈迦如来
創建年 延徳元年(1489年
開山 大洞禅師
開基 長野方業
文化財 本城氏の墓3基(前橋市指定史跡)
公式サイト 芳林山栄興院長昌寺‐前橋市
法人番号 8070005000007 ウィキデータを編集
長昌寺の位置(群馬県内)
長昌寺
長昌寺
長昌寺 (群馬県)
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長昌寺(ちょうしょうじ)は、群馬県前橋市にある曹洞宗寺院。本尊は釈迦如来[1]

歴史

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1489年延徳元年)、長野方業の開基である。方業は厩橋城(後の前橋城)の城主であり、大洞禅師が伊香保温泉湯治をしていることを知り、大洞禅師を城下に招いて寺を創建した[2]。『前橋市史』は1519年永正16年)開基という説もあるとしている[3]

1581年天正9年)の火災で全焼したが北条高広(芳林)によって再興され、芳林山と号した[3]

江戸時代、当寺は藩主酒井氏菩提寺ではなかったが、その家臣御用商人が檀家となっている。檀家になった家臣の代表例として、元最上氏の家臣で、改易後に酒井忠世に召し抱えられた本城満茂などがいる[2][4]

しかし1749年寛延2年)に酒井氏は姫路藩に転封となり、後任の松平氏も前橋城が利根川に浸食されたため、川越城に居城を移転、有力檀家の減少で次第に寺運衰微していった。1879年明治12年)時点で、檀家は39戸に激減していた[2]

明治中期、新潟県出身の野中倉吉という実業家が「前橋で一番の貧乏寺を菩提寺にする」と宣言、野中家が檀家となったことで次第に復興していった[2]

文化財

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前橋市指定史跡

  • 本城氏の墓3基(前橋市指定史跡 昭和54年3月26日指定)[5]

交通アクセス

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周辺

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脚注

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  1. ^ 前橋市史編さん委員会 1984, p. 744.
  2. ^ a b c d 長昌寺について長昌寺
  3. ^ a b 前橋市史編さん委員会 1984, p. 732.
  4. ^ 群馬県高等学校教育研究会歴史部会 編『群馬県の歴史散歩(歴史散歩10)』山川出版社、2005年、6p
  5. ^ 市指定文化財一覧前橋市

参考文献

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  • 群馬県高等学校教育研究会歴史部会 編『群馬県の歴史散歩(歴史散歩10)』山川出版社、2005年
  • 前橋市史編さん委員会 編『前橋市史』 5巻、前橋市、1984年2月1日。 

外部リンク

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