長昌寺 (前橋市)
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長昌寺 | |
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所在地 | 群馬県前橋市紅雲町1-9-14 |
位置 | 北緯36度23分7秒 東経139度3分39秒 / 北緯36.38528度 東経139.06083度座標: 北緯36度23分7秒 東経139度3分39秒 / 北緯36.38528度 東経139.06083度 |
山号 | 芳林山 |
院号 | 栄興院 |
宗派 | 曹洞宗 |
本尊 | 釈迦如来 |
創建年 | 延徳元年(1489年) |
開山 | 大洞禅師 |
開基 | 長野方業 |
文化財 | 本城氏の墓3基(前橋市指定史跡) |
公式サイト | 芳林山栄興院長昌寺‐前橋市 |
法人番号 | 8070005000007 |
長昌寺(ちょうしょうじ)は、群馬県前橋市にある曹洞宗の寺院。本尊は釈迦如来[1]。
歴史
[編集]1489年(延徳元年)、長野方業の開基である。方業は厩橋城(後の前橋城)の城主であり、大洞禅師が伊香保温泉で湯治をしていることを知り、大洞禅師を城下に招いて寺を創建した[2]。『前橋市史』は1519年(永正16年)開基という説もあるとしている[3]。
1581年(天正9年)の火災で全焼したが北条高広(芳林)によって再興され、芳林山と号した[3]。
江戸時代、当寺は藩主酒井氏の菩提寺ではなかったが、その家臣や御用商人が檀家となっている。檀家になった家臣の代表例として、元最上氏の家臣で、改易後に酒井忠世に召し抱えられた本城満茂などがいる[2][4]。
しかし1749年(寛延2年)に酒井氏は姫路藩に転封となり、後任の松平氏も前橋城が利根川に浸食されたため、川越城に居城を移転、有力檀家の減少で次第に寺運衰微していった。1879年(明治12年)時点で、檀家は39戸に激減していた[2]。
明治中期、新潟県出身の野中倉吉という実業家が「前橋で一番の貧乏寺を菩提寺にする」と宣言、野中家が檀家となったことで次第に復興していった[2]。
文化財
[編集]- 本城氏の墓3基(前橋市指定史跡 昭和54年3月26日指定)[5]
交通アクセス
[編集]- 前橋駅より徒歩17分。
周辺
[編集]脚注
[編集]参考文献
[編集]- 群馬県高等学校教育研究会歴史部会 編『群馬県の歴史散歩(歴史散歩10)』山川出版社、2005年
- 前橋市史編さん委員会 編『前橋市史』 5巻、前橋市、1984年2月1日。