長期建設
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長期建設(ちょうきけんせつ)とは、支那事変下の大日本帝国で、特に武漢攻略後に用いられたスローガン[1][2][3]。
画像外部リンク | |
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長期建設に乗出す1・2 - 大阪朝日新聞(神戸大学付属図書館デジタルアーカイブ) | |
長期建設の完成へ 経済憂慮の要なし : 石渡蔵相の財政演説 - 大阪朝日新聞1939年1月22日夕刊(神戸大学付属図書館デジタルアーカイブ) | |
長期建設の総予算案 きょう衆議院で可決 : 貴族院へ送付再検討 - 読売新聞1939年2月14日(神戸大学付属図書館デジタルアーカイブ) |
武漢陥落後に、蒋介石ら中国国民党による長期戦が展開される中で、この「長期抗戦」に対抗させる形で、東亜新秩序の建設といった帝国の国策を意識させるように、大陸の経営といった意味合いを含み、更には日本や東亜・世界の改良・創造までひろげて「長期建設」が唱えられた[2][4][5][6][7]。多分に「革新」的な気分を含むものであり[8][注 1]、経済問題について日満支一体で議論もされた[11][12]。
政府としては長期建設の遂行のために戦時体制の強化、経済統制が必要との認識があり[13][14]、その恒久化の方策として国家総動員法の発動などが行われた[14]。
石橋湛山は維新政府要人の、この時局は50年は続くという言葉を紹介しながら、蒋政権の崩壊とその後の開発などを含め、日清日露に比して極めて長期にわたることを強調し、長期建設はこの時局が半永久的に続くとして国内的経済的方策を取るべきことを論じた[15]。
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ 武漢陥落と長期建設に關する論調 (調査資料 ; 第24輯). 衆議院調査部. (1938). doi:10.11501/1351135
- ^ a b 岩崎英恭 (1939). 長期建設と日本の財政. 生活社. pp. 2〜3. doi:10.11501/1271535
- ^ 崔相徳 (1938). 支那事変第二段階長期建設へ (東亜民論社パンフレツト ; 第4輯). 東亜民論社. doi:10.11501/1099154
- ^ 小川郷太郎 (1939). 長期建設と経済統制 (戦時経済講話集 ; 第2輯). 商工行政社. doi:10.11501/1272207
- ^ 朝日新聞社 (1938). 長期建設への途. 東京朝日新聞発行所. doi:10.11501/1246101
- ^ 石巻良夫 (1939). 長期建設と銀行経営. 文雅堂書店. doi:10.11501/1278313
- ^ 河瀬竜雄 (1938). 長期建設の意義. 東方文化協会調査部. doi:10.11501/1272812
- ^ 飯田清三『長期建設下の經濟動向』( 北支の治安工作に就て 長期建設下の經濟動向 日本重工業の前途 (經濟倶樂部講演 ; 昭和14年 第1輯). 東洋經濟出版部. (1939). pp. 45〜82. doi:10.11501/1909821)
- ^ 白木沢旭児 (2010). “日本における統制経済の形成と展開”. 歴史と経済 52 (3): 31-39. doi:10.20633/rekishitokeizai.52.3_31.
- ^ 笠信太郎 (1939). 日本経済の再編成. 中央公論社. doi:10.11501/1687102
- ^ 昭和研究会 (1939). 長期建設期に於ける我国労働政策 : 労働問題研究会中間報告. 東洋経済出版部. doi:10.11501/1463038
- ^ 山本正雄 『長期建設下の資金統制 總動員法十一條問題をめぐりて』(大阪毎日・東京日日新聞社エコノミスト部 (1939). 岡実先生記念論文集 : エコノミスト監修法学博士. 一元社. pp. 267〜291. doi:10.11501/1261514)
- ^ 高橋亀吉 (1939). 東亜建設戦と財政経済の再編成. 千倉書房. pp. 22〜23. doi:10.11501/1271549
- ^ a b 大阪毎日新聞社 (1938). 戦時経済早わかり 第9輯. 大阪毎日新聞社. doi:10.11501/1271513
- ^ 石橋湛山 『長期建設の意義と我經濟の耐久力』( 東洋経済パンフレツト 第13輯. 東洋経済出版部. (1939). pp. 1〜48. doi:10.11501/1463241)
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 進め長期建設へ(文部省ポスター) - 江戸東京博物館
- 国防と長期建設にラヂオ(ポスター) - 江戸東京博物館