長沼宗泰
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時代 | 鎌倉時代 |
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生誕 | 不明 |
死没 | 不明 |
別名 | 淡路又四郎左衛門尉[1][2] |
戒名 | 覚源[1][2] |
官位 | 従五位下・式部大輔・淡路守[1] |
幕府 | 鎌倉幕府 |
氏族 | 長沼氏 |
父母 | 父:長沼時宗 |
兄弟 | 皆川宗員、宗泰、時村 |
子 | 長政、宗秀、宗員、朝実、宗実、宗綱 |
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寛元3年(1245年)8月15日、鶴岡八幡宮の放生会で宗尊親王の警護役をつとめた[3]。ほか幕府より淡路守護として正嘉2年(1258年)悪党取り締まりの命を受け、建治3年(1277年)六波羅評定衆となるなど鎌倉幕府御家人として奉公する[2]。また歌人としても知られ『続拾遺和歌集』などの勅撰集に歌が8首のる[2]。