長浜彰
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長浜 彰 | |
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生誕 |
1895年5月23日 日本 埼玉県 |
死没 | 1947年3月31日(51歳没) |
所属組織 | 日本陸軍 |
軍歴 | 1917年 - 1945年 |
最終階級 | 陸軍憲兵大佐 |
長浜 彰(ながはま あきら、1895年(明治28年)5月23日 - 1947年(昭和22年)3月31日)は、日本の陸軍軍人。陸軍憲兵大佐。太平洋戦争時のフィリピン方面軍憲兵隊司令官。戦後、A級戦犯指定で逮捕されたが、B級戦犯としてマニラ軍事裁判で死刑判決を受けた。
経歴
[編集]埼玉県に生まれ、1917年、陸軍士官学校(29期)を卒業し、陸軍少尉となる。1928年、憲兵大尉となり、憲兵畑を以後歩く。1933年、憲兵司令部第3課長となる。
1942年8月、憲兵大佐となり、9月には第14軍(フィリピン方面)憲兵隊長となる。1944年7月には、改編昇格した、第14方面軍憲兵隊司令官となる。
1945年、呉地区憲兵隊長となる。同年9月、連合国より第一次戦犯指名され、A級戦犯として逮捕され収監。フィリピンに連行され、司令官時代のフィリピンにおける部下の残虐行為の罪を問われ、B級戦犯としてマニラ軍事裁判で死刑判決を受けた。1947年3月、ラグナ州カンルバンにて銃殺刑。