長浜村民五郎
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長浜村 民五郎(ながはまむら たみごろう、? - 天保9年(1838年))は、江戸時代後期の一揆指導者[1]、義民[2]。天保7年(1836年)の甲州騒動の頭取のひとり。
甲斐国国中地方の博徒[1]。郡内領長浜村(現:山梨県南都留郡富士河口湖町)生まれ[2]。
天保7年(1836年)8月、甲州騒動のとき、途中から一揆の頭取となる[2]。甲府勤番士や甲府代官所の役人らと交戦し、甲府町内をはじめ国中地方一円の打ちこわしを指導する[2]。その廉で捕まり、同年12月4日に江戸送りとなり、天保9年(1838年)5月に磔の判決が決まったが、刑を待たずして牢死した[2]。